『負け犬の遠吠え』ISBN:4062121182

他の方の日記を読んで。http://d.hatena.ne.jp/tazan/20050108

酒井順子小倉千加子も面白く読んだ。メモが残っていないのでなんとも言えないが、でも小倉千加子の『結婚の条件』ISBN:402257884X、少し違和感が残ったような。

自分のことはまあ、どうでもいいのだ。あまり不満がない。小さい頃から「こんなんで生きていけるんだろうか」と勝手に不安がっていたことを思えば上出来だ。

結婚しちゃった友人のうち、旦那を「パパ」と呼ぶ種族とは棲み分け可能である。仲良くできる。微妙なのは、結婚したいのにできない(と思っている)人たちと、結婚していて結婚に後ろめたい思いをしている人たち。

前者には結婚してもらいたい。「あなたも本当は結婚できなくて不幸なんでしょう?ね、ね、そうだと言って。こっちに来て。PCの設定手伝って」とか言われるから。

問題は「あたしだって結婚してなければ今頃ばりばりやってたのに」という人たち。ばりばりやる能力はあるのだけれど、アルバイトでお茶を濁し「やっぱりマイペースが一番」などとのたまう。「自立してるってすごい!」とむやみに持ち上げたかと思うと、「持ち家があって旦那の稼ぎで好きなことできるってラッキーだと思うんだ」としみじみ言う。なんかズレてる。旦那を必要不可欠な存在だとは全然思ってない(ように見える)のもなんだか。

経済力と愛情がからんで話がねじれているけれど、彼女たちを追い詰めているのは「自分がいるべき場所はここじゃない」っていう苦しさなんだと思う。あるいは、自分では納得していても一律「主婦」にくくられてしまう苦痛。

小倉さんの本は、うろ覚えだけど、「主婦」を簡単に「あっち側」に片付けているような印象があって、面白かったけど、結婚している友だちに薦められないところがある気がする。

主婦の自立ってなんなんだろう。経済的に自立しているといえばわかりやすいけれど、じゃあ経済的に自立していなければ、その人は自立していないのか?economic independenceは精神の自立を保証しているか?パトロン付でいい仕事すればいいじゃない。仕事してなきゃだめなのか?そもそも、自立していなければならない理由は?

その人が幸せならいいじゃん。というのが私の見解だ。そして、幸せの形はいろいろあるんだよね、と思う余裕をほんのぽっちり持っていてくれれば。

それでも、やっぱり、主婦と独身者を隔てるものはあって、それは多分リスクの問題だ。自分の場合で言えばたまたま一人で生計を立てているけれど、ホームレスになる可能性もある。自負も不安もリスクを背負っているところから来ているのに対して、彼女たちは「(当面の)リスクを背負っていないこと」に安心を覚えると同時に、自由とリスクが引き換えだということに苛立つのだ。推測だけど。そして「リスクを取らずに自由だけ手に入れよう」というおいしいとこ取りに「応援するよ!」と言えるほどこちらは寛大じゃない。「できる範囲で」なんて、それ嘘だよ、実家が金持ちなら別だけど(といいつつ、才能は努力とは別だったりもするんだけど)。「大学講師の皮をかぶった主婦」なんてかっこ悪いぞ。それとも「何かと引き換えにしろ」ってのは育ちの悪さか?自分が年寄りになったせい?

20歳の小娘じゃあるまいし、自分の好きな方向を選択してきた結果が、現在の自分だ。こう生きてくるしかなかったっていう意味ではフィフティ-フィフティじゃないかと思うが、こどものいない主婦は時たま苦しそうだ。だから劣等感を強要される程度なら甘んじて受けよう。人は思いたいように思う権利がある。

...なんか友だち失くしそうだな書きぶりだな。あ、でも、これを読んで目くじらをたてそうな友人には(今思うと見事に)、アドレス教えてないや。

<追記>
余裕無く人を叩いているのはこっちの方だな。でも私は必死の戦い方をしている人が好きだ。でも、あれこれ必死で模索していて、平気な顔してるだけなのに、"大変なのは自分だけ"モードになってたらごめん。リスクは取らずに、こつこつできる範囲で努力して、だんだん認められるってのは、十分ありだよ。こちらが認めたくないだけで。でも旦那は捨てないでね(それも、そちらの勝手だよな)。"愛情がないなら、いつまでも食べさせてもらってないで一人に戻りなよ"ってのは、シングルの理想論なんだろうな。書けば書くほど言い訳ばかりだな。
でも、私が食い詰めていたときに、励ましてくれなかったよね(わー執念深い)。