東京大空襲の立案に彼が関わっていたというところで、かなり衝撃を受けた。一人の人間が、何十万という人間の生死に関わることが可能だという明確な証拠が、目の前にある。しゃべっている。私が今住んでいる東京を焼野原にした張本人(の一人)がこんなところに。

一昨日見たフォッグ・オブ・ウォーが、なんとなくずっと頭の中にある。第二次大戦に勝って、戦争犯罪人になることを免れた男、マクナマラ。偽善者と謗ることは簡単だが、戦争で膨大な数の人を殺した人間にとって、どんな懺悔なら正しいのだろう。

「戦争にルールがあれば、それを守っただろう」「自分は、国民に選ばれた大統領に仕えていたのだ」という彼の主張は、いかにもアメリカ人らしい。罪は認める。謝罪はしない。彼の良心は、ルールと共にある。

「どんな大義があっても戦争は許されない」という人間なら、そもそも戦争を遂行する側に身を置かないはずだ。一方で「戦争が必要であれば、なるべく少ない犠牲で終わらせなければ」と思ったところで、結局、効率よく戦争を終わらせることなどできない。どれだけ優秀な頭脳が知恵をふりしぼっても無理なのだということは、他ならぬマクナマラの証言を聞いていればわかる。

だから、世界銀行で貧困の撲滅と教育に取り組んだという彼のベトナム以後には非常に納得がいく。戦争を始めさせないための有効なやり方の一つだ。

もっと退屈するかと思っていたが、文句なく面白かった。インタビューの合間に差し挟まれるIBMのパンチカード(兵隊を管理する)、高所から次々に落ちてくる頭蓋骨(フォードの車体の強度を高める実験)、世界地図上を次々と倒れていくドミノの牌、統計上の数字が爆弾となって戦場に降り注ぐ、といった映像も私の目には効果的に映った。

しかし、結局、一番記憶に残るのは、マクナマラという男の強烈な印象だ。