ナラタージュ

新刊memoで上げたときに、とてもアクセスの多かった作家さん。1983年生まれなので、まだ若いですね。世代の違いのせいかどうかはわからないけれど、ついていけなかったなあ(と言いつつも一気読み)。

設定がありがちすぎませんか?教師と生徒の純愛。「僕と一緒にいても幸せにはなれない」「やっぱり彼のところに行かなくては」「僕が君にしてあげられることはないのか」。そもそも、若い女性に癒しを求める甘えた男性って好きじゃないんだよなあ(ここで既に終わっている気も)。

著者略歴に「思春期の繊細な感情や心の痛みを鮮やかに表現し」とあるけれど、設定よりもさらに、表現の仕方が苦手かも。

「私はなんて素晴らしい恋愛をしていたのでしょう。一生忘れないわ」っていう自己陶酔の感じが苦手。陶酔するのは自分の心の中だけにしてほしい。でもまあ、心にしまってあることをひっそりお話ししてくれているから「ナラタージュ」なんだけれど。

さらに、大真面目な感じが苦手。別に笑い飛ばせというわけじゃないけれど、自分が生きていること、恋愛していることは、他の人にとってはそんなに意味がない(かもしれない)。今自分にとって大事なことも、そのうち当の自分自身が忘れてしまうかもしれない。消えない痛みと消えてしまう痛みを、何気ない顔で生活しながら静かに寝かしつけるところにドラマを感じるのは、私が年寄りだからでしょうか?

「そんな大げさに話すようなことかな」って思っちゃって。「運命の恋」には憧れるけれど、「これが運命の恋だ!」と言われても。『ツ、イ、ラ、ク』は堪能したんだけどな。どちらにも感動するってアリなんだろうか。

雨恋

  • 雨恋松尾由美著、新潮社装幀室(装幀)、Amy Stafford/Getty Images,Brian Hagiwara/Getty Images(写真)、新潮社、2005/01

偶然ですが、『ナラタージュ』と写真の版元が同じですね(Getty Images http://creative.gettyimages.com/source/home/home.aspx)。この赤いスカートに目を奪われてつい読んでしまった。『銀杏坂 (光文社文庫)』に続いて二作目。

きっちり地に足のついた文章を書く人、というイメージは変わらず。加納朋子宮部みゆきと(私の中では)近いかな。評価が低いわけじゃないんだけれど、本来の好みからは外れる。

主人公の「僕」が、海外に転勤した叔母のマンションに引っ越してくるところから話は始まる。同居人は猫が二匹だけのはずが、ある雨の日、僕は姿の見えない誰かが部屋の中にいることに気づく。その「誰か」は、実は三年前にその部屋で自殺したことになっている女の子の幽霊だった。彼女が言うには、自分は確かに自殺しようとしていたが、思いとどまったはず、つまり自分は殺されたに違いない、と。僕は彼女が心安らかに成仏できるよう、真相にたどりつくべく捜査を始める。

幽霊の描きかたがきっちりしてる。猫がじゃれているのを見て、僕がその存在に気づくところもいかにもありそうだし、真相が解明されるにつれ、可視できる部分が増えていく、彼女は自分が殺された場所から5メートルくらいしか移動が利かないといった点も「ふむふむ」である。謎解きも手堅い(と私は思う)。

だけどねー。やっぱり苦手なの。西澤保彦みたいに飛んじゃっていれば、非現実的な設定も平気なんだけど、しらふのままで幽霊の相手をするのは、ちょっと私には難しい。まずは酔っぱらわせてくれなくては。

読後感は良かった。二匹の猫のじゃれる様、バレエのステップを踏んでいるような優雅な脚線、僕が最後に目にした彼女の姿、どれも表紙を裏切らずフォトジェニックだったな。いつか「このシーンってどこかで読んだな」って思い出すかも。