ミハエルとジョーズとライディーン

今日の仕事を昨日一部片付けてしまったので(おお!めずらしい)、今日は一日だらだら過ごす予定。といっても、仕事じゃない昨日締め切りの課題を今日に持ち越しているので、弛緩率7割くらいなんだけど。

ときに、昨日2ちゃんねるのF1スレッドを読んでいたら、冒頭からミハエルのあごの長さが槍玉に上がっていて、同じように長いあごで苦労してきた当方としては同情を禁じえなかった。

このところベリィショートが似合うほどに顔が丸く変形してしまった当方であるが、そこそこ成長して以降慣れ親しんだ形容は「細面」である。そこそこ成長する前、端的に言えば小学生時代になんと呼ばれていたかというと、「ライディーン」であり「ジョーズ」だった。もちろん男子からだけどね。

身体的特徴を面と向かって悪し様に言うのは子どもの特権、と悟るほどに当方は当時から大人だったけれど、ライディーンに引き続き「ジョーズ」が華々しく公開されたときには、「世間はどうしてそんなにあごに注目するのだろうか」と暗い気持ちになったものである。

十数年ぶりに小学校の悪友たちと会うことになり(といっても15年くらい前の話)、待ち合わせをした駅で、当方を遠目に見ながら彼らはこういう会話を交わしたという。「あれのような気もするが、あれかな?」「あれだろう。あのあごの角度は間違いない!」

偉大なる赤い皇帝も幼少の頃は苦労しただろうなあと思うと(あ、今もか)、そこはかとない親近感を感じるのである。蛇足だけど、ラルフはあごの長さも偉大さも、全く兄に劣るね。