7:00起床。せっかくなのでもう一度お風呂に入って朝食。食後にコーヒーが供されるのは嬉しい。この宿はカップのコーヒーの自販機もあって、缶コーヒーが飲めない当方としては非常に助かった。

武州日野の駅まで送ってもらった後、駅の近くの荒川村歴史民俗資料館に寄っていくことにする。二階まで吹き抜けのホールに大きな山車が鎮座する。二階には、現在も残っている刀鍛冶の資料や、からくり人形の一種である「白久の串人形」の展示。徴兵忌避を研究している友人は、第二次大戦の開戦の詔書に見入っていた。当方としては、手書きの詔書を用意して、全国津々浦々配布する手間が気になったりする。資料館のある敷地内にも忠魂碑。東京を歩いているときにはさほど気づかないが、秩父には至るところに石碑がある。第二次大戦関係、日露戦争関係、それから困民党関係。その辺りに詳しい友人に解説を受けながら歩く。

昨日の最終到着地点である影森の駅まで戻って、札所26番円融寺。建て替えの跡があまりなくて、良い風情だ。とご住職に申し上げると、お金がないから、と笑ってらっしゃる。この寺には、京極好きなら誰もが知る鳥山石燕の「影清牢破り」が伝世している(明和元年(1764年)、江戸護国寺秩父45札所総開帳の際 に奉納されたもの)。「木に描かれた本物は、色もかすれていてはっきりしない。それが、写真に撮ったら鮮やかに写るんだよ。不思議だねえ。近頃これを見せてくれというお客さんがぽつぽつ来るのはどうしたことだろう」とおっしゃるので、「石燕は今ちょっとしたブームなんですよ」と教えて差し上げる。先日は、奥の院である「岩井堂」でNHKの金曜時代劇「慶次郎縁側日記2」の撮影が行われたそうだ。主役の高橋英樹は残念ながら来なかったが、何シーンか撮影していったので、お堂もちらっと画面に映るであろう、とご住職はとても嬉しそうである。我々も番組を見るのが楽しみになった。放送は10/07から。

円融寺を出て、岩井堂に向かう。昭和電工の敷地を抜けていく途中でおいしそうなトマトを売っていたので、一袋買って、トマトを食しながら石段を登る。そろそろ雨の気配。暗い木立に囲まれた朱色の舞台。裏山を少し登って、鋳造の仏様に手を合わせ、念仏車のあるお堂で一休み(「秩父霊場、危機一髪!」http://www.geocities.co.jp/Playtown-Dice/9450/travel4.html)。

岩井堂に戻り、琴平ハイキングコース沿いに山道を下る。荒川の砂、秩父セメントのセメント、秩父鉄道の線路を使って建立されたという「護国観音」を経て札所27番大淵寺。いよいよ空が暗くなってきたので、足を速めて次へ向かう。秩父市浦山民俗資料館で一休み。浦山ダムに沈んだ集落等をおさめた古い写真に見入る。立派な建物だが、もっとたくさん資料があってもいいのに。

今日の終着点である札所28番橋立寺に到着。岩壁を背にした観音堂の姿に圧倒される。そして、楽しみにしていた橋立鍾乳洞胎内くぐり。入口から一歩中に踏み込んだ途端、冷気が吹きつけてくる。背負ったリュックサックが何度も引っかかってしまうほど低い天井の下、腰をかがめて洞内をめぐる。「今は観光化されてしまって風情がない」とどこかで読んだ覚えがあるけれど、なんの。自然が作り出したものの有難さは、多少コンクリートが入り込んだくらいで薄れることはない。

同じ敷地にある「土津園」に入って何分も経たないうちに、土砂降りの雨になる。名物の甚太郎そばをいただきながら、雨の音を聞く。旅の終わり、束の間の静かな時間。

少し時間が早いけれど、有楽町で一つ用事があるので、15:30の電車で池袋に出る。友人と別れ、どろどろの格好で用事を済ませて18:00帰宅。