そんなところに行きたいんじゃ

本当はちがうんだ日記
本当はちがうんだ日記穂村弘著、田巻照敏(著者写真)、池田進吾(67)(装幀・装画)、集英社、06/2005

噂の穂村弘を借りてきたので読んでみる。この間の長嶋有のエッセイ集でも大変ほめていたので安心である。と言いながらも、「面白いぞ」の評判があまりに高いので警戒は怠らない。適当な面白さでお茶を濁すようであれば許すまじ。

最初のエッセイ「エスプレッソ」。3段落目までは普通である。パリとか砂糖とかミルクとか。ここまでだったら普通の人でも到達できるかも。「素敵レベル」という言葉は応用が利きそうである。4段落目でちょっと変な香りがする。忍法が出てくる。

5段落目で「花ももみじもなかりけり」的な引っくり返し。パリはどこへ行ったんだ。あなたの素敵レベルが低いことはわかった。え、それは「本当の私じゃない」から?困ったひとだねえ。

6段目で彼の部屋につれて行かれてしまう。本棚の前で迷っている。いや、わざわざ表紙をカバーで隠してるんだから、見せてくれなくてもいいですよ。いや、大体わかるんでほんとに。ああ、あなたも苦労してるんですな。え、宇宙の神秘?本当の自分を探しにねえ。いえ、私は宇宙までは行ってません(勝ったね)。

一杯のエスプレッソにはこれだけの苦悩が秘められているのである。そりゃあ苦くもなるでしょう。なになに、「本当の私」さえ手に入れば、苦いエスプレッソも甘露の味がすると?

頑張ってください(涙...馬鹿だなあ)。

気取り屋で自意識過剰でありながら(あるが故に?)、自分の「素敵レベル」が低いことは鋭く認識しつつ、そこで黙って気取ってりゃいいものを、いかに素敵でないかを微に入り細に入り暴露してしまう。あーあ。似ている。自分と。

と思う人が案外多いんだろうな。この人が売れてるってことは。

「日記」のカテゴリーに入れるつもりがまとまっちゃったので、1篇しか読んでないけど「読了」の方に入れときます。残りを読んで印象が変わったらまた後で。

<追記>「エスプレッソ」は、「おかしい」という意味では中くらい。美容院で続きを読んでいたところ、「自分の机の上で、ツナ缶を開けて、そのなかにマヨネーズをむりむりと絞り込み、ぐるぐるかき混ぜて食パンの上にのせる。それをはぐはぐはぐはぐと食べる」謎の先輩社員コーノさんを、女子社員が(怖れつつも)「ツナ夫」と呼んでいた、というところで笑いが止まらなくなる。カラーリングをしてくれていたお兄さんに読んで聞かせたら、彼もウケていた。与謝野晶子と鉄幹の愛情を書いた「悪魔の願い」を読んでいたら今度は涙が出てきてしまう。美容院向きではなかったかも。

「気がひける」「おっくうである」「うまくできるだろうか」の説明は天才的。無事に生活している、それをある程度は当然だと思っている、思っているけれど、同じくらいの割合で「何かの間違いかも」と思ってしまう。そういう人の、毎日の不安。ちょっと振り子が反対に振れたら、今いる世界は崩れる。

「私は極端に優先順位の狂った人間というものに関心がある、アルコール依存症ギャンブル依存症買い物依存症恋愛依存症、殺人依存症等々」
「今から振り返ると、現実世界に入れない私にとって、本屋は世界の玄関のような場所だったと思う。世界のなかで自分が辛うじて身を置くことのできる唯一の場所。私は、玄関で靴を脱ぐことも思いつかないまま、ぼんやりとそこに二十年近く立ち尽くしていた」
「新聞などで、焼身自殺者や、とんでもない事件を起こして全く反省なしに死刑になった者の記事をみて、心を動かされることがある。それは本人の考えや事の経緯や幸不幸などとは別に、たとえそれがより悪い穴であっても、間違った穴であっても、とにかくその魂が最後の大穴にだけは吸い込まれなかったという一点の印象に関わっている」

「夜の無意味な散歩」とか、「オリーブを愛読していた」とか、嬉しく共感を覚えるところはたくさんあるけれど、ああ、でも、この人がズボラ(な一面もある)ところが一番好きかも。「結果的ハチミツパン」、愛しい。