会話(全部別の人の話)

何かかすかに引っかかっていると思ったら、話したいことを話せなかったからだった。大変機嫌が悪そうに見えた。仕方ないか。友人じゃないし。

連絡をしないままに時間が過ぎてしまってどうしよう、と思っていた人から、思いがけなく電話がかかってきた。随分年齢が離れているので、一応お姉さんのふりをしているけれども、同じくらいの年齢だったら、絶対主導権は向こうにあると思う。彼女の率直なところが好きである。考えてみたら、私が信用している人は、率直であるか率直であろうとしている人が多いような気がする。例えて言えば、透明なガラスに隔てられているとして、どこかにドアが隠されているのではないかとうろうろしたり、むこうから口ぱくで物を言うのではなく、鉈でガラスを叩き割ってこちらにやってくるような人である(みわこ元気?)。

久しぶりに友人と会って話をしたら、ちょっと失念していた彼女の良いところをたくさん再発見した。少し離れているのは、そう悪いことでもない。

「物知りですね」と言われて、もちろん相手はほめてくださったのだが、たまたま読んでいた本で、紫式部が「日本紀の御局(にほんぎのみつぼね)」=「歴史オタクのウンチク女房」(@『殴り合う貴族たち―平安朝裏源氏物語』)という、元はといえばほめ言葉に由来するあだ名をつけられて嫌な思いをした、というくだりを読んだばかりだったので、つい思い出しておかしくなってしまった。新刊の3行紹介で得た知識ばかりですが。

つきあいの長い友人と話していて、こちらが楽しかったり嬉しかったりしたことに対して、水を差される度合いが最近増えてきたように思う。彼女は昔から男っぽくてさばさばしている人として通っているけれど、むしろ女っぽい女性だと確信しつつある。「相手の利益になるように手を貸す」というのは、偽善だったり、100%は楽しくなかったりすることもあるけれど、あえて「手を貸さない」ようにしているのだとするとちょっと怖い。「頂上には何もなかったよ」と言われたあのとき、へばった体を押して自分の目で確かめていれば、こんな思いはしていないのだが。長年の友人ならでこそか。

何を考えているのか見当のつきにくい人に対して、つい神秘化してしまうことがある。そんなときに思い出すのは、筒井康隆の『家族八景 (新潮文庫)』の中にある「日曜画家」という短編だ。超能力で相手の心を読み取ってしまう七瀬は、家事手伝いとして入った家の主人が抽象画を描く日曜画家であり、彼が周囲を自らの描く抽象的幾何図形と全く同様に捉えていることを知って、その特異な感性に驚く。当初は芸術家として彼を尊敬していたものの、その「抽象化」は、彼の精神のいびつさや自己本位性の現れにすぎなかった...。そんなわけのわからない人ではないと思うけれど。森高千里って、神秘的で無機質な感じがして好きだったな。ケイト・モスなんかもかっこいい。

並べてみると、少し歪みがちかな?*1

少し風邪気味。気持ち悪くなるほど眠ったのは久しぶり。今日の用事は明日に持ち越し。ジェンソン・バトンももう少しお待ちくださいませ(意地でも他のジェンスを探したい気持ち)。

*1:先回りしすぎて事態をややこしくすることがよくある。