「教官と私」十六日目(実車15日目)

1限は学科なので9時到着で構わないのに、間違えて8:40には教習所に着いてしまった。しかし、そのおかげでハンサムな教官の私服姿を見ることができたよーん。服を楽しむ人の格好だった。稀に、自分が美人やハンサムであることに無自覚な人がいるけれど、その可能性は薄い。あの没個性な制服着なきゃいけないのはちょっと可哀想だ。

午前中は3時間続けて応急救護の講習。昨日も実車でお世話になった教官。応急救護といえば人工呼吸。本当にやるのかな、と半信半疑だったが、本当にやるのである。ひとがた相手に気道確保して、人工呼吸して、心臓マッサージ。それぞれうまくできれば、ランプが点ったりビープ音が鳴ったりするのだが、気道確保や心臓マッサージはともかく、人工呼吸で全然音が鳴らない。元合唱部の沽券にかけても負けるわけにはいかん、と、恥ずかしさも捨て、がばっと口を開いて息を吹き込んでみたけれど、うんともすんとも言ってくれず。心臓マッサージも手を抜くと音がしなくなっちゃうので、かなり体力を消耗した。あと、三角巾を使った止血も習う。

教官は、運送会社の運行管理部にも在籍していたとのことで、とてもリアルな事故現場の話が出てくる。気道確保の重要性について、忘れられそうにない怖い逸話を聞かせてもらった。赤十字応急救護も、面白いから受けてみるといいですよ、とのこと。ハブに噛まれたときの対処法なんかも教わるらしい。「首吊りの自殺者を下ろすとき、ひもをほどかず切断するのはどうしてでしょう?」と聞かれて「自殺かどうかの特定」と即答する。ミステリで得た知識を実生活で生かしたのは初めてだ。

午後からは実車2時間。W教官といえばブレーキ、というくらい急ブレーキの注意を受けた人だが、突如としてブレーキの踏み方に開眼する。いや「できなかった」わけではないのだ。私はそれまでブレーキを踏むとき、きっちり「足応え」のあるところまで踏んでいた。そこまで踏まないと、ブレーキは利かないと信じていたから。「最小限の足応えを感じるところで足を止めるのは難しいなあ」と思っていたのだ。

突然、唐突に、「足応えがなくてもブレーキは踏めているのだ」ということに気づく。「軽く踏む」とはこういうことだったか。歴代の教官は、単に踏み方が下手だと思っていたのだろう。誰も私の勘違いに気づかなかった。そして、「軽く踏める」ようになったことにも気づかなかったと思う。それでもやっぱり、できるようになったのは、口をすっぱくして注意してくれた教官のおかげかもしれないな。

2限は珍しくこれまで教わったことのない教官。数人いる20代の教官のうちの一人と思っていたが、なんとこの教習所に20代はいないそうだ。みんな若く見えるんですねー。少しコースを外れて、自分の最寄の駅のあたりを走らせてもらう。ブレーキが上手に踏めるようになったから、渋滞も平気だよー。しっかし、いつまでも「開眼」しないままだったらどうしてたんだろうね。

「微量でブレーキを踏み続ける」ことができるようになったのが、第一段階のときの転機だったとすると、「ポンピングブレーキが踏めるようになった」のが、第二段階の転機。ブレーキの不安定さが、ハンドリングにも影響していたことがはっきりわかる。特に右左折での運転が段違いに楽になり、自分の中でもこれで目処が立った感じ。

学科を2コマ受けて、9-5の教習所デー終了。(12/11)