日光おじさんの呪い

大学時代の友人とやり取りしながら思い出したこと。書くことがなくって。

私の大学時代の友人は、そのほとんどが学科ではなくサークルの関係者なのだが、当時刻々と進行していた母校の女子大化を反映して、9人の同期のうち8人までは女性だった(部長を務めた男子は哀れにも、いつも上座に置いてきぼりにされていた)。執行学年となった3年目、今年男性部員が入ってこなかったら女声合唱団に改編か、という危機を神さまが哀れに思ったかどうか知らないが、2つ下の代に、片手に余る程度の新入男子部員が入ってきた。「あなうれし」と、薄い財布を握り締めて居酒屋に連れて行き飲み食いさせたところ、飢饉の際にただ一つ残った米倉にネズミが入り込んで宴を開いた後のような有様となった。彼らは揃いも揃って音痴なだけでなく、大喰らいという特性をも持ち合わせていたのである。

私は一度で懲りたが、なぜか、同期の純真な女性のうち何人かが感化を受け、大衆食堂や食べ放題といったいかがわしい店に彼らと徒党を組んで出向くようになったばかりか、合唱団の伝統であった優雅な午後のお茶の時間にあってすら、饅頭屋で「福○まんじゅう3つ、いや6つにしとこうかな」などという会話を交わすようになったのだから、合コンやらディスコやら、その他なんだか楽しそうな世相に我々が取り残されてしまったのも致し方ない(まともな女子大生だった約2名は、早々に退部してしまった)。その責任を取らないままさっさと自分たちだけ片付いていった後輩男子部員の罪は真に許しがたいものがあり、現状を有体に言えば、同期の女性8人中結婚できたのは4人のみ、これは、我が合唱団の歴史に照らしてもダントツの戦績であることは(多分)明らかである。

ところで、我々が卒業するにあたって卒業旅行の行き先として選んだのは、栃木県の日光であった。一体誰の発案であったかは忘れてしまったが、幹事は余程ぼんやりしていたらしく、電車を降りた後、どこに向かうかすら誰も知らずに駅の辺りに佇んでいたところ、「私が運転手になってあげよう」というおじさんが現れた。これが日光おじさんとの出会いである。おじさんの案内で二日間にわたって神社やら滝やらを訪れたことは今となっては単なる美しく善い思い出であるが、この旅を参加者全員にとって忘れ難いものにしている理由はただ一つ、すなわち日光おじさんに誘われて日光金谷ホテルティールームで過ごした午後のひと時こそがこの旅のハイライトであったと言っても過言ではない。

話の前後は忘れてしまった。今も変わらず我々の中で一番の美貌を誇る女性が、ちょうどその頃幸せな恋愛をしていた。発端はその辺りだっただろう。「この中で誰が一番早く結婚すると思いますか?」と問うたのは誰だったか(誰だよ全く)。その問いに答えておじさんは、ごく気軽な風に我々に呪いをかけたのである。「一番早いのは、Yさんだね。Kさんも早いよ。次は...」。「え、じゃあ、美人のRちゃんは?」「いやー、彼女はねえ、どうかねえ」。

8人の同期のあまりにも少ない結婚式が一つ終わるたびに、我々は、日光おじさんの予言の正しさを確認し合う羽目になった。祝福された者たちは良いとして、問題は「残された者たち」である。皆あのとき、なんらかのお言葉を賜ったはず。しかし、その言葉は最早、各自の胸のうちにしまわれて鍵をかけられている。「あのとき、5番目って言われたのは、実は私だったの」と言い出すのは果たして誰なのか。

という疑心暗鬼とは、私は一切無縁である。なぜなら、私は一言も予言を受けなかったので。いや、私は心から、みんなが結婚したいときに結婚できることを願っているよ。ところで今、私が知りたいことと言えば、「結婚」に匹敵するような人生の慶事は何か、ということである。だってみんな、「あなたが結婚するときはお祝いしてあげるよ」と口先では言うけれども、それを確かめる機会はなさそうなんだもの。

不思議だなあ。15年以上前の話だ。