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午後から起き出して一つ仕事を片付けた後、銀座松屋で師匠の出品するいけばな古流協会展。手土産をあれこれ選んでいる暇がなく、松屋の前にあるダロワイヨでマカロンを買って会場へ。
お茶もお花も元来無縁で、花に接するのは偶に花屋で花束を拵えてもらうときくらいだったのだが、昨年やはり師匠のいけばな展に招待していただいた際、あれこれ解説していただいたこともあり、「それはそれでおもしろい世界」と思うようになって今回が二度目のいけばな展。
会場は「生花」と「現代華」のスペースに分かれており、師匠の今回の出品は「現代華」の方。「生花」が伝承の様式に則って活けられるのに対して、「現代華」はなんでもあり(といってもいいのかな)の世界。チャレンジャーの師匠は、100円ショップで購入したというワインラックとガラス瓶に花と緑を配した作品(ひー、花と緑の素材名を思い出せない)。
最初に受けたのは、難しいことをやろうとしてるなあ、という印象だったかもしれない。展示されている位置が割と低かったせいもあるのかもしれないが、この作品は、「どういう組み立て方をしているのだろう」という点に目が行くので、つい、いろいろな角度から見てみたくなる。
通常、いけばなを見るときは、正面から見るのが普通の見方なのではないかと思う。つまり、立体の絵を見ている。しかし、今回の師匠の作品を見ていると、「横から見るとどんなだろう」「後ろからは」と、「無意識に」考えてしまうのだ。むしろ彫刻を見るときと似ている。この作品を隙のない形で完成させるのは大変だろうと思いました。師匠は「若さ」と「かわいらしさ」を狙ったとのことでしたが、「若さ」と「意志力」を感じました。
「生花」は見るのが難しい。「目の肥えた人にしかわからない良さ」が私にはわからないので。でも、こうやってたまにでも展覧会に足を運んでいれば、「いつまで見てても飽きないのよねえ」という作家さんといつか出会えるかもしれない。
「お茶とお花」は私の中で、花嫁修業の一環としてセットになっていたが、花をいけるための格闘ぶり(山で素材を探すことも含めて)を聞くにつれ、好感度が高くなりつつある。お茶と切り離せない正座の姿勢が、実は歳をとってからはきついのに対して、お花はいける際のお行儀を問わず。
お茶関係では『数寄者日記―無作法御免の茶道入門!』という名著があるが、お花でも何か楽しい本ないかな。それにしても、お花の会派ってたくさんあるんですね。(http://www.nihonikebana.or.jp/index.html)
<追記>師匠からのメールに花材は以下の通りだそうです。
華展で使われた花は、まず葉がニューサイラン、花はラナンキュラス(赤、薄黄色)、コアニー(白の花で茎が曲がっていて面白いもの、アリウムと同じ科で葱のお仲間)、漂白された晒し扁平巻き蔓(竹をむいて作られたもので、きしめんのようで白いビヨ〜ンとしたもの)、それにピンクのガラスびんに入ったのは(実際は入ったように見せた!)赤のニューサイラン。
以上が花材です。