昨日お昼過ぎから良い気持ちでふがふが眠ってしまったのは意外によろしくなかったとみえ、夜はぱっちり目が開いたまま過ぎてゆき、気がつくと、戻りの早いスイングドアよろしく、あっという間に夜型に戻っているのだった。

今気づいたんだけど、なんと今年はまだ、冬用のおふとんを使っていない!毛布と春秋用の薄い羽毛布団で、大した不都合もなく過ごしている。街をゆく人たちが、かなりの割合でコートを着用していないことには薄々気づいていたけれども、この暖かさはいくら何でもおかしかないか。

暖かい東京に飽きたわけではないけれど、来年のお正月は、JRの「正月パス」で久しぶりに寒いところに出かけようかな。何年か前のお正月に、この切符で平泉の中尊寺に出かけたので、そのときに行けなかったもう一つの候補地に出かけるよい機会かも。

今読んでいる『サイドウェイ―建築への旅』で、カルロ・スカルパというヴェネツィア生まれの建築家が出てくる。彼は、その素晴らしい建築で非常な名声を得たけれども、保守的な同業者から憎まれ、建築大学の学長職にありながら「建築家」を名乗ることを許されなかった。彼に「建築家」の称号が与えられたのは、死後5日経ってからだという。

スカルパが亡くなったのは、1978年、仙台を訪れていた最中だった。同行していたブジナーロ氏が「教授は、池に浮かぶ小さなお寺を見に行く途中だった」という文章を寄稿し、磯崎新は、旅の目的地を平泉と解いた。著者自身は、考え続けた挙句、松島の五大堂がその場所だったのではないかと、現地で独りごちる。

「死の直前、故人が何を考えていたのか」という問いは単なる謎解きとしても魅力的で、ほとんどその興味で、秋に?『マイ・アーキテクト ルイス・カーンを探して [DVD]』を見に行った(今年映画館で見た数少ない映画の一本)。路上で死んだ建築家の父が、生前どんな人物だったのか、何を考えていたのかを知るために、庶出の息子であるナサニエル・カーンは、父を知る人を訪ね、父の建築を巡る旅に出る。エストニアから移民し、三つの家庭と三人の子どもを持ち、建築家として名声を博し、破産するまで建築に財産を注ぎ込み、最後は駅のトイレに行き倒れた男は、幼い息子の目には、さぞかし謎の存在に写ったことだろう。ましてや、生活を共にしたことすらなかったのだ。

遺伝子で思想を受け継ぐことはできない。父の建築を見ても、父を知る人と語り合っても、父が実際何を考えていたかまではわからない。しかし、生者は、死者が幸福であった痕跡を探す。目を見開いたまま亡くなったかもしれない想像の中の死者のまぶたを、そっと閉じるために。

巨匠ルイス・カーンの巨匠ぶりをちゃんとはわからないのだが、画面で見たソーク研究所、バングラデシュの国会議事堂、キンベル美術館を忘れることはないだろう。神の住処をも、実際に手に触れる形で創り出せるのが建築家という存在だ。しかし、人間の生活の卑近なあれこれではなく、人間という存在自体に思いを巡らせるような建築は、誰にでも作れるわけではない。父の建築は、人々から愛され、時の流れにも風化せずそこに存在し続けていた。父と再会し、和解して、ナサニエル・カーンの旅は終わる。

あら、思わず遠くまで来てしまった。続きを読まなきゃだわ。