朝6時に起床。朝食を食べたり、ネットで各種情報をあさったりした後、ご近所まで足を伸ばして、依頼人と打ち合わせ。たまたま歩いても15分程度しかかからない場所にお住まいの方なので、図書館で待ち合わせる。その場で先方の作成した書類を見せていただいたところ、翻訳からフォーマットに至るまでワードで完璧に作成済みで、はっきり言って私の出番なし。サインを済ませればその場で終了してしまう勢いだが、一点だけ翌日にならないと確認できない項目があったため、あとはその場で雑談2時間。片や「吹けば飛ぶよな仕事&貧乏で自由」な当方に対して、先方は「重役待遇&平時は自由&高報酬」という違いはあるものの、「時間に縛られないコンサルタント」という点ではかろうじて同じなので、気の向くままにおしゃべりを楽しんだ。

余裕のある人と話をするのは楽しい。余裕があるというのは、他人に与えることを苦にしないということだからだ(そういう意味では、金持ちだけが余裕を持っているとばかりは言い切れない)。その方は、今回の仕事に関して、自分が持っている情報の出所を全て教えてくれたばかりか、「次回別の方から依頼があったときのために」と、データファイルまで分けてくださるという念の入れよう。まったく利害関係がないという要素は大きいにしても、「ギブアンドテイク」「ゼロサムゲーム」「仲間うちのWin&Win」等々がやんわりとほのめかされ、「他人がそうであるのはある程度当然」と半分あきらめていることも多い中で、話したいことを話し、聞きたいことを聞けるのは、有難い経験だった。

それにしても、私が話題を気にすることなく気楽に話せるのは、30代半ばの人が多いなあ。自分と同世代のオーバーフォーティは、興味のある話をするというよりは、むしろ、昔話でつながっている感じだし。かといって、30代と同じレベルで「話が合う」というわけではなく、「自分が知りたいけれど知らない」情報を流してもらえるから、こちらが一方的に聞きたいことを聞いて吸収しているという点で、相変わらず微妙な立ち位置だなあ、と思う。

「PCの操作を覚える」だけなら、73歳の実家の父でも、ある程度のところまでは可能だ。しかし「情報をシェアする」という一点において、「PC使い」とそうでない人たちには、明確な差があるように思う。「情報を独占しなければ自分の優位を保てないと信じている」人たちと「情報をできるだけオープンにすることが、周りだけではなく自分を豊かにすると信じている」人たち。一年間意識的に仕事関係の接触を断ってぼーっと考えた結果、私はもう、「ともすれば人でも情報でも囲い込みたがる」人たちとは、あまりつきあいたくないのだった。

しかし、面白い人と会ってしゃべったからといって、自分が役立たずなのに変わりはない。それでも「こうありたい/こうあってほしい」と思う人間は実在する(可能性がある)、ということがわかって元気になる。午後からは、各種用事を済ませ、銀座松屋の「松屋銀座フォトスタジオ」で新しく証明写真を取り直し。これまで使用していた写真も、2002年にこちらの写真室で撮影していただいたもので、この写真は、かつてないほど私の美点を捉え、なおかつ若干の修正がほどこされており、これを目にした10人中10人が「詐欺だ」と断定するほどにすばらしい出来であった。できることならずっとこの写真を使い続けたかったのだが、4年の間に生じた劣化変化は、もはや多少の修正ではいかんともし難い。写真室の人は「変わりましたね!」なぞとは言わないけれど、「そうですね、そろそろ撮りなおしましょうか」ということで、何枚か撮ってもらった。前回の撮影のことは記憶にないけれども、確かに、人をにっこりさせるのが上手な写真師さんであった。

ぜんっぜん知らなかったけど、3日間のヨーガンレールのバーゲンが、この日は初日。すとんと落ちるスカートを一点購入。帰りに図書館に寄りがてら「ババグーリ」で「石の家展」を覗いたら、ヨーガンレールさんが、ご自分の作品の前でお客様と歓談していた。すーっとしていてかっこいいなり。赤木明登、安藤雅信、李英才等の作家さんたちの石の扱いも面白いけれど、この展覧会に関しては、ヨーガン・レールさんの作品が一番よかった。

ヨーガンレールにも、いつのまにかブログが登場したんですね。http://jurgenlehletc.blogspot.com/2006/12/blog-post_29.html