昨日、今日の分の当日券が予約できたので、夕方から渋谷シアター・コクーンにて『NODA・MAP第12回公演「ロープ」』(http://www.nodamap.com/02rope/gaiyou.htm)。金子國義のポスターに目を引かれ、野田秀樹の名前に「あら野田秀樹だ」と思い、「藤原竜也宮沢りえ」の名前に「おお豪華だ」と驚いた上に、気がついたときにまだ公演が続いていて、チケットも簡単に入手できたという珍しいパターン。立見席だけど。

当日に並んで当日券を入手する形式だったら、そこまでしては行かなかったと思う。前日に当日券を電話予約できる簡便さに助けられた。電話では予約番号だけもらって、当日は18:00に集合して、チケットに引き換える。基本的にこのチケットは、中二階と二階のバルコニー席の後方での立見席のもの。座席で座って見たければ、キャンセル待ちすることになる。中二階の立見席を選んで、舞台の始まる前に、引率されて指定の位置につく。客席を背にして、右手のバルコニーの前方から数えて16番目。正規の座席の後ろにめぐらされた手すりに、番号が振ってある。ちょうどいい具合に、私の左隣は壁になっていて、そこで手すりが湾曲して終わりになっていたので、そこに腰掛けて見ることにする。舞台の右端がちょっと隠れるくらいで、見晴らしは良好。

舞台の上には、ひきこもりの小屋と、ロープを張り巡らされたリング。リングの中は、かなり高低差があって、低い側を前にすれば、倒れている人もよく見える形だ。藤原竜也宮沢りえが、それぞれ隠れ場所から顔を出す。藤原竜也はひきこもりの部屋から。宮沢りえは、リングの下の地下から。藤原竜也は、「プロレスは八百長じゃない」と信じる「若者の純情」を持つレスラー、宮沢りえは、自分を未来から来たコロボックルだと信じる地下生活者だ。

宇梶剛士演じる「悪役」レスラーの「アジア人」への雑言を聞いた藤原竜也は、リングの上で、宇梶を半殺しにする。試合を中継したプロデューサーである野田秀樹と、彼を尻に敷く妻の渡辺えり子は、番組への非難を恐れて戦々恐々。しかし、彼らを雇う「ユダヤ人の社長」は、「もっとこういうものを見たい」と彼らに電話で伝えるのだった。

リングの内と外、そこには厳然とした違いがある。ように見える。戦いは、リングの中だけ。戦いには、正当な理由がある。しかし、すぐにリングの内と外の境界は曖昧になってしまう。誰もが気がつくとリングに上がっている。誰もが正義を探し、誰もが騙されたと思っている。しかし、彼らは純然たる被害者にはなれない。「実弾をこめたのは誰だ!」「俺だ!でも撃ったのは俺じゃない」

リングサイドでは、入国管理官が、不法滞在の外国人を探している。彼に追われることになった自称コロボックル。彼女と結婚することにした純情なプロレスラーが善人かと思いきや、「戸籍を汚して結婚してやったんだから金を寄越せ」とコロボックルに詰め寄る。唯一「被害者」に一番近いところにいるコロボックルすら、「あなたを人類監察官に任命しましょう!」という甘言に騙されて、張り切って戦闘を実況する。

人間は、殺してはならない。しかし、「顔を持たないもの」は人間ではない。「顔を持たないもの」の死体は、見えない。匂いも、しない。人類は、踏みとどまることができるのか。

宮沢りえ藤原竜也を、双眼鏡で拡大して眺める。きれいだったなあ。宮沢りえは、存在自体がおしゃれで透明感があって。着物もいいんだけど、やっぱり現代劇で見たかったんだよな。

野田秀樹の劇を初めて見た感想としては、「思ったより直接的」ということだった。テンションの高さとか、繰り出されるギャグ?に、始終笑い声が絶えなかったけれども、メッセージを取り違える人はいないだろう。「近づいてくるヘリコプターの音が聞こえないの?」という悲鳴に近い台詞にかぶさるヘリコプターの爆音に感じた生理的な恐怖。

大学時代、小劇場のブームだった頃にはついぞ足を運ばなかった類の舞台を、今頃目にすることに対する感慨が、一番大きかった。私より年上の人たちが、ひょいひょいリングに駆け上がっていた。鍛えてるなあ。「身体で表現する人たち」は、私にとっては、相変わらず遠くにあったのだった。

<追記>「ミライ」ってのは「未来」じゃなくて「ミ・ライ部落(ソンミ村)」のことだそうだ。http://d.hatena.ne.jp/arida/20070123#1169569788
あと、やっぱり、りえちゃんの声がちょっと違って聞こえたのは、やっぱり嗄れていたのね。