frenchballoon2007-03-21


福岡滞在中に、間の悪い親友から京都旅行のお誘い。「今、福岡だよ」という話をして、結局、21日に日帰りで江ノ島に行くことにした。昨年の6月から断続的にあの辺りに出かけるのは、実は坂東三十三観音巡りの一環。四番の長谷寺までは、昨年友人と既にお参りしている。次の五番は小田原なのだが、私は『QED ~ventus~ 鎌倉の闇 (講談社ノベルス)』『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』を読んだ関係で、鎌倉やら江ノ島で見たい場所がたくさんあって、昨年の9月に一度、単独で鎌倉を訪れている。そのときは、江ノ島を目前にしながら腰越でタイムアウト。今回は半年ぶりの再訪になる。

仕事はお休みとはいえ、旅行の残務処理やら、これまで撮った友だちの写真をCD-Rにコピーするやらでなかなか忙しく、30分遅れて待ち合わせ場所の東京駅に到着すると、東海道線は事故により止まっている。結局、横須賀線で一旦鎌倉に出ることにした。鶴岡八幡宮にお参りし、久しぶりに参道をぶらぶらして、友人は観光客らしいお買い物。私はお金がないので、合羽橋にもある「田窯」の支店で、300円のカップを購入。思いのほか遅くなったので、お昼ごはんはパスして江ノ電江ノ島まで移動。

二人とも、江ノ島には大学時代、バイト先の人たちと遊びに来ている。でも江ノ島本島に足を踏み入れるのは初めて。吹きっさらしの江ノ島大橋を覚悟を決めて渡り始めると、これが不思議と寒くない。どうしてかなあ。時刻は午後の3時過ぎ。島へ渡る人も、こちらに戻る人も、それなりに多い。京都の嵐山みたいな位置づけなのかなあ。鎌倉の、観光地として完成度の高い土産物屋を先ほど目にしていただけに、江ノ島の参道に立ち並ぶ、なにやらごちゃごちゃした気配に興趣を覚える。

まずは階段を上って江島神社辺津宮にお参り。母の個展の無事を祈って、ご朱印は弁財天のを書いてもらう。奉安殿ではむしろ裸弁財天に目を奪われ、ファニーな龍に見守られて小銭を洗い、参道を辿って中津宮にお参りし、さらに奥津宮、岩屋を目指す。参道が島の南側に差し掛かると、景色は開け、立ち並ぶ民宿の食堂越しに、明るい海が見える。もっとさびれた雰囲気を勝手に想像していたのが、結構繁盛していそうだった。奥津宮は、おそらく一番標高の高い場所に鎮座していて(違うかもしれないが)、午後の陽ざしの中で明るい気を放っている。宮の天井には、抱一による八方睨みの亀が描かれていた。お百度を踏む若者一人。お腹が空いているので、あちこちの食堂のメニューを物色しつつ、5時に閉まるという岩屋に急ぐ。参道を西に下って、海が目の前に開けたときの感動。海に突き出した岩場は案外に広く、たくさんの人が遊んでいた。海風はむしろ暖かく、水の色も優しい青なのだった。

海の上に設けられたボードウォークを伝って、岩屋の入り口にたどり着き、500円支払って入洞。中で手燭を渡され、暗く湿気の籠った暗がりを歩く。信仰の気配を濃厚に残す場所。空海日蓮と龍に手を合わせる。

お参りを済ませ、目をつけていた店の一つで、やっとのことでごはんにありつく。二人とも、さざえの入った江ノ島丼。友人は美味しいと言っていたが、私はいまいち。こんなものなのかしら。次があるなら別の店を試してみよう。店を出たら、これまで姿を見せなかった富士山が、ぼんやりと霞んで見えた。

見るべきものは見たつもりで山を下っていたら、児玉神社という神社が現れ、友人いきなり大興奮。徴兵忌避を研究している友人は、軍歌やら軍人やらにやたら詳しく、その手の遺跡が大の好物なのだった。児玉某は、東郷平八郎の右腕だった人で、日露戦争で大活躍したらしい。薩摩の人だとか。ついでに薩摩は海軍なのだとか。こんな観光地に、こんな立派な神社を建ててもらえるなんて、日露戦争というのは余程大きな影響があったのだろう。

最後に石碑を見られて、友人は満足そうだった。私はといえば、これでやっと、坂東三十三観音めぐりのドライブに出られるので嬉しい。駐車場のことを考えると、鎌倉や江ノ島には、車では来れない。藤沢の遊行寺江ノ島の龍口寺は残っているけれど、次回からはいよいよ車での移動である。夏になる前に、神奈川方面は終わらせたいな。

帰宅したのは9時で、今日も世界選手権は見られなかった。大ちゃん3位は健闘。織田君は見せ場なかったか。ランビエールは完全復調ではないらしいのが心配。明日こそチェックである。