F1のチケットとバブルの本

昨年、鈴鹿最後の日本GPのチケットが早々に売切れてしまって往生したので、今年は早々と、ネットで申し込むことにする(http://fswf1.jtb.co.jp/)。といっても「抽選申込」なので、当たらなきゃしょうがないわけだけれども。ダイレクトに旅行代理店に申し込むこともできるが(http://www.jtb.co.jp/shop/daisan/info/sportsdesk/tour2/detail/f1070927_reserve01.asp等)、鈴鹿と違って富士には大して思い入れがないので、抽選で当たらなければそれまでである。

ちなみに、自由席券で1枚1万1千円。交通費は、最寄り駅から無料シャトルバスの出る新松田(他にも指定駅有り)まで930円。なんと千円かからないのである。JTBで決勝日帰りツアーを申し込むと、料金はチケット代別で1万5千円。サーキットのゲート近くまで寄せてくれるのかもしれないが、往復2千円の電車代とは比較にならないお値段。それより、渋滞がどうなるんでしょうね。最短で3時間の距離だけど、当日は始発で出かけたほうが良さそう。

結局、枚数は自由席1枚しか申し込まなかった。私を最初にF1観戦に連れて行った友人は、このところ全くF1には興味なさそうなので。数年前まであれほどフリークだったのに、今や、口を開けば、中日の話題ばかりである。「やっぱ、野球はいいよね。三つ子の魂百までってことかな」などと、じじいのようなことを言う。

私は、西部池袋線沿線住民だった頃は、たまに清原君を観に行ったものだが、その当時から、野球はスター選手以外わからない(永島慎二(ひえーどっから出てきたんだ。水島新司だ)は一通り読んだ。やっぱ里中君が好き)。スポーツ観戦のルーツは、一番古いところで、岩田・杉本・中垣内時代までのバレーボール、ブライアン・オーサーフィギュアスケートくらいまでしか辿れない(うちには中二までテレビが無かった)。

そこになぜか登場するF1観戦。きっかけは、1989年に東欧を訪れて以来のハンガリーびいきだった。たまのテレビ観戦の日々を経て、2001年に初の鈴鹿入り。2002年の冬にレーサーの安岡秀徒君と知り合って、F1の下のカテゴリーにも一気に詳しくなったのが2004年あたりである。

いろいろ偶然が重なって、現在のモータースポーツ好きが形成された、との認識が、しかし、先日『バブルの肖像』を読んでいたら、覆った。日本でのF1ブームは、バブルと歩調を合わせていたんだな、ということがわかると同時に、F1への興味自体が、自分自身へのバブル期の影響と深く結びついていることに気づいたのだった(関係ないけど、鈴木亜久里、バブルに散った男たちの遺志を継いだ男)。

都築響一による、結びの言葉。

カネを稼ぐのは保身だろうが、カネをスるのは快楽である。「この状況がいつまでも続くと信じた見通しの甘さ」がバブルを招いたとはよく言われることだが(あとになって講釈垂れるのはいつも簡単だ)、ほんとにそれだけだったろうか。この先には崖が待ってるとわかっていながら、さらにアクセルを踏んでしまう。その快楽の純度こそが、バブルを踊ったよろこびの根源にあったとは言えまいか。

F1の「蕩尽」。金に換算できる見返り以外の「何か」が重要な世界。F1プロジェクトに「カイゼン」を持ち込んで嬉々としているトヨタは好きになれないが、どこまで本気か眺めている分には面白い。まあ、富士スピードウェイの長いホームストレートを、ライコネンが一番で駆け抜けていく様を(どこかのスクリーンで)見るためだけでも、見に行く甲斐はあるでしょう。あまり期待せずに抽選結果を待つことにする。