いいんです、頭で考えることで

19:30から横浜で多和田葉子×高瀬アキの『音の間 ことばの魔』。「沈黙から」塩田千春展&アート・コンプレックス2007の一環(http://www.kanagawa-kenminhall.com/artcomplex/index2.html)。15:00から塩田千春がギャラリートークを行うこともわかったので、半日横浜で過ごすことに決定。数年前、家具屋めぐりであちこち出歩いていた頃、みなとみらいのあたりは何度か足を伸ばしたことがある。しかし、古くからの横浜、山下公園や中華街は、なんと上京してきて以来まともに訪れるのは初めて。前夜はつい「初めて検索」に夢中になってしまった。といっても、中華街で何を食べるか、という検索なんだけど。

横浜のそごうで、師匠の日記に何度か登場する「マーロウ」のプリン(http://www.marlowe.co.jp/pudding.html)を大急ぎで購入し(2つで1500円ってどういうこと!?)、みなとみらい線に乗って「日本大通り」で降り、神奈川県民ホールへ。予約してあったチケットを引き取り、地下の塩田千春展の会場に降りる。

忘れもしない、焼けたピアノの残骸。偶然手に取った写真集でこの作品を知り(http://d.hatena.ne.jp/frenchballoon/20060422)、塩田千春という名前は一瞬にして記憶された。その作品と作者が目の前にいるというのは、ちょっと不思議な感じがする。塩田千春さん、小さくて、小さな声で話す人。強烈な表現を内に秘めているとは、外見からは想像できない。こちらがぼんやりしているせいなのかもしれないが、ご本人が語る言葉は、なんだかどんどん拡散していく感じ。ぽつりぽつりと漂い出た言葉を追いかけていくと、「あれ、今、何のことを話してたんだっけ?」という、はなはだ頼りない心持ちに。この人の場合、まず強烈な表現がある。それに付け加えられた一言で、イメージがぐわっと膨らむ。例えば、窓を用いたインスタレーション。何百枚もの汚れた窓枠の連なりに、漠然とした、それでいてずっしりと重い何かを感じた後、これらの窓が「東ベルリンの取り壊された建築現場で採集され」、「東ベルリンの人々が、西側を見て(思って)いた象徴」という言葉が付け加わると、もう、それ以上の解説は不要なほどの説得力がある。しかし、ご本人の言葉を聴いていると、その収まりの良さが却ってぐずぐずと破壊されていく感触なのだった。「分かる」ことから離れられない、みじめな鑑賞ではある。私は何を感じればいいのでしょう? 分からないのなら分からないなりに、素人らしい正しい鑑賞態度とは? ピアノが焼け落ちる間、鍵盤やピアノ線がどんな音を立てたか、ちょっと想像してみた。

学生時代に師事したマリーナ・アブラモヴィッチセミナーで、何日も絶食した後、目隠しをして池の周りを歩く、という体験をしたという話がちょっと面白かった。池に落ちる人もいたという。朦朧とした頭でいるところを叩き起こされ、「今頭に思い浮かんだ言葉は何?」と問われ、「Japan」と答えたそうだ。日本に帰国したとき、以前履いていたお気に入りの靴が足になじまなくなっていて、「あれほど帰りたかった日本」とのずれを感じたこととか。一つの作品が作品として実を結ぶまで、5年もかかることがある。

最後にちょっと告知。来年夏の「国立国際美術館」での塩田千春展での作品のため、現在「履き古した靴(履き物)」を募集中。募集期間は2008年6月まで。1000足の目標のうち、現在集まっているのは450足とのこと。詳細は、こちらのサイトで。http://www.nmao.go.jp/japanese/home.html

ちょっと足を伸ばして、中華街に遅いお昼を食べに行く。本町通りは、実質的にカーディーラー通りと化していた。そういえば、大きな外車に乗った人が多い(曲がれない女の人がいた)。外車率は高いものの小型車が多かった鎌倉とは違いを感じる。朝陽門を通ってここから中華街。上海蟹というものを食べてみたい。がしかし、一人で蟹を1杯食べ切れるとも思えないし、蟹自体、実はそんなに好きでもない(両手を使って食べなきゃいけない。手が汚れる。面倒)。ということで、安くてこじんまりしたところを、昨日ネットで見つくろってある。ところが、午後4時という時間帯がいけないのか、小さな店は概ね閉店中。大店はセットメニューで1,500円から3,000円くらいが一番安いラインのようだ。外食のCPには異様に厳しい私なので、あらゆる路地を偵察して回ったけれども(間に関帝廟にもお参り。雑貨店でシックな品揃えの店も2軒ほど発見)、どこもそれなりに立派で外観から料理や雰囲気を判定するのは難しい。有名店に入ればまずくはないだろうが、だだっ広い店内で借りてきた猫のようにして一皿だけ(あるいは手持ち無沙汰でコース料理を)食べるというのも気乗りしない。そうこうしているうちに5時を回り、さっきは閉じていた店にも明かりが入る。香港路の「龍龍」という店の前で「確か昨日の検索で見たような気がする」と立ち止まっていたら、常連さんらしい人が「ここは美味しいよ」と中国語訛りで誘ってくれたので、一緒に入ることにする。清潔で、女性一人でも居心地のよい店内。定食のセットメニュー(主菜と点心、杏仁豆腐)が950円と安い。鳥そばと春巻きのセットを注文。量は多からず少なからず(大食いの男性には少し厳しいかも)。美味しい。鳥そばも春巻きも、一手間加えられている感じだ。大いに満足して店を出る(「龍龍」http://221.244.61.250/chinatown/tenpo.jsp?code=321)。上海蟹入りの饅頭というものをさっきどこかで見たので、帰りながら食べようと目論んだが、もうどこで見たのか思い出せなくなっていた。

さきほど、中華街近くの駐車場で「バーニーズニューヨーク」の文字を見たので、近くにあるに違いないと踏んでZERO3で検索をかけ、まだ開演時間には間があるので寄っていくことにする(http://www.barneys.co.jp/stores/yokohama.html)。いい場所にある。ここにしかないブランドがあるかどうかは不明。ドリス・ヴァン・ノッテン、たまに意外に安かったりするので、ドレスの値段を見たら、見た目通りの15万だったのであきらめる。15万でも元は取れそうだったけどなあ。気に入る服って、予定が入ってからじゃなかなか見つからないんだよなあ。バーゲンに出るかどうかチェックだ。オロビアンコの小物入れは、このところ探していた財布にちょうど良さそう。東京で再チェック。なんとなく気分がよいので、オードトワレを一瓶購入。

山下公園通りを通って、思いの他暗い夜の公園と海を見ながら、県民ホールへ戻る。少し肌寒い。開場までもまだ時間があるのに、結構待っている人がいる。今日のステージは前売り券は売り切れなので、当日券を買いに並んだ人たちなのかもしれない。

塩田千春の展覧会の開場に降り、焼けたピアノと互い違いにグランドピアノが一台、朗読用の譜面台が一台、張り巡らされた黒い糸の周囲に椅子が並べられ、そこが観客席になっている。朗読者とピアニスト、どちらも見える位置をちょっと探して席を取る。多和田さんは、昨年11月のトークイベント以来(http://d.hatena.ne.jp/frenchballoon/20061117)。同じ作家さんを2度もリアルで拝見するのは初めて。しかも、全く別々に知っていた塩田千春さんとのコラボとは。ドイツは「考える女の人」の国、というイメージが固まりつつある。

多和田葉子さんと高瀬アキさん登場。声とピアノ。詩と音楽。どちらの存在感も負けない。昨年のトークイベントで感じた空気を揺らす言葉の緩急が、小説から詩になったことで、音楽が共にあることで、なおさらくっきりと際立つ。ひとつの言葉が、同じ音から別の意味を持つ言葉へ、区切る箇所が変わることで、さらに別の言葉へと移り変わり、つんのめったり、後ろ髪をひかれたりする。また、高瀬さんとの掛け合いが絶妙。高瀬さんは弾くばかりではなく、詩の朗読をも受け持つ。多和田さんもマラカスを振り、歌うこともある。音楽と詩が切り離せない。奏者の二人の中に、それぞれの要素が両立しているから成り立つ舞台。小説という形から入ったからわからなかったけれども、そもそも多和田さんの言葉は、もともと音楽だったのだ、と納得。

「自由を抱えきれるか」「不自由に安住したいでしょう?」と問い掛けられる。「みんな、自由について考えているんだなあ」とちょっと安心する。「いいんです、頭で考えることで」という言葉に、かなり救われる(正確な表現を覚えていない!)。

合間に、笑いが起きる。ちょっとした言葉遊びや、ちょっとばかり悪趣味な連想に対して。イメージがくるくる変わっていくこと自体が楽しい。シャボン玉が舞う。ガラスのボールに入っていたピンポン玉が、蓋をはずしたピアノの内側にばら撒かれ、フォークや金属の何かがピアノ線に挟み込まれ、ピアノの音は異音を含み、指や腕で叩かれた鍵盤に連動して、ピアノ線がピンポン玉を跳ね上げる。ピアノを中心に、いろいろなものが跳ねている。高瀬さんのピアノ、圧巻。体格に必ずしも恵まれていない女性のピアノが、私は好きだ、と自覚する。自分とは違うものに憧れる気持ちとは別に、自分の記憶にある「格闘しなければならない楽器としてのピアノ」の感覚を宿したピアノ弾きへの共感というものは、どうしようもない。そもそも、「ピアノ」でなければ、塩田千春という名前を刻むことはなかった。

二人で机を叩いてリズムを取りながら、朗読が始まる。旋律はない。終わると、二人は立ち上がって暗がりに消える。戻ってきて、「これで終わりです」。普通のコンサートじゃないから、どこで終わりなのか、会場の人たちはわからなかったのだ。笑いと拍手。アンコール。

楽しい夜だった。誰とも分かち合えない生活だけど、それでかまわないと思った。(11/07更新)