テレビを見ないのは平気、今年は本も全然読んでいない、ゲームはHT-03A数独が結構時間を取るが、もう少しやってみてもいいかな、と思っている。経費節減のため、テレビは本気で解約しようと思っていたけれど(ワンセグの小さなのを買ったら、結構映りが良い 『DXブロードテック ワンセグテレビLVS-31』)、冬季オリンピックに加えて『特上カバチ!』、ついでに国会中継もあったりして、まだ迷っている(でも、ワンセグのあの小さな画面でも、最低限の情報は得られるんだよな)。

で、残りの逃避要素を考えてみたら、自分でも盲点だったのはiTunesiPodなのだった。取材原稿になかなかとりかかれないのは、MDなりICレコーダーなりにヘッドフォンを繋ぐのが非常に億劫だからだ。英語の勉強に取り掛かれないのも、ほぼ同じ理由による。ヘッドフォンで音楽以外のものを聞くなんて。そういや、ラジオ聴取の習慣も続かないよなあ。これは語学番組だけでなくJ-WAVEさえもはや聴いていない。まあ、「やらなきゃいけないこと」は、ほぼ全て怖いので、「やらなきゃいけないこと」の物理的な象徴に手が伸びないのはほぼ当たり前ともいえるんだけど。

もう、私の生活は、面倒なことは何もやれなくなっていて(その端的な結果がこの部屋)、直接的な破綻につながること以外の問題は直視できない。「見る」「向き合う」を避け続けると、こういう人生になるかと。お肌にシワは寄りませんけどね。

物をほいほい捨てられないのは、また違った理由もある。「いくらかのお金にはなるかも」というさもしい動機だ。エコ的な視点はほぼない。商売以外で売ることをあてにしなきゃならないような人生なら、物は買うなってことですね。買うなら「捨てる」か「寄付する」かにしろと。

で、なんとか私の生活を成り立たせている要素は何かというと、「知りたい」「記録したい」が一つ。「好きな人にほめられたい」が一つ(これは昔から)。最近付け加わった新バージョンは、「思いついたことをやってみて結果を知りたい」(これは、神経の伸びきった今の私にもちょっと楽しい)。もう一つ、私を引きこもりにせず経済活動にしがみつかせている最大の理由は「東京で暮らしたい」、これに尽きる。あるいは「東京で独立して生活する最低限の経済的自由」かな。夢とか野心とかあったためしはなく、孤独はデフォルトなので、良いも悪いもない。「孤独死」の何が悲惨なのか、よくわからない(お金がなくて飢え死にしたとかならまた別)。

ただ、人の肌の熱は、情緒的な破壊力を持つ、ということを久しぶりに思い知ったなあ。いや残念ながら素肌じゃないんですけど。今後の課題だね。健康と金。親。それから、生きている暖房装置。30代のうちに出会っていれば、子どもを産むことを考えていたかも。でもまあ、今後も嫁には行かないのかな。自由に見える男というのは、女性の依存を許さない男でもあるかな、という感触も(つまり経済的精神的自立が前提)。まあ、この年までああいう生き方をしてきたんだから、今さら変える可能性もないだろう、とか言っている間に、料理の上手な、きちんと家庭を切り盛りできるタイプの(すげー物好きな)女性に、持ってかれちゃうのかも。うーん、そのときのショックを考えると、今から寝込みそうだ。

「話の合わない男と色恋だけで付き合うって、絶対無理があるって。特にあなたは」と、知人友人親まで口を揃えるけれど、「色恋」と「話が合う」はあたしの中で普通共存しないんだもの。そもそも「話が合う」男なんて記憶にないし、「かろうじて意思疎通ができる」くらいでも上々だよね。で「色恋」で行けそうかなー、と思うと、「やっぱり違ったみたいなので」と引き返される。慣れてますとも。

しかし、好みが変わるとも思えないので、つまり今後は、「当然違う」ということを前提にしたつきあいを「考えてくれ」と言うことにしよう。ああ、男らしいこと。私は甘え下手だったので、甘えたり依存したりということに飢えているがしかし、実際問題として男がいなくて困った、という記憶はないのだった。

なんの話だっけ? iPodiTunes禁止? つらいけど試してみる価値あるかも。