それを楽園と言うか

『春、バーニーズで』ISBN:4163234802吉田修一著、有山達也(アリヤマデザインストア)装幀、前康輔写真、文芸春秋、11/2004

五つの短編からなる連作集。田園調布をモデルに造られたという京王線沿線の街に住み、妻と妻の連れ子、そのまだ若い母と同居、電車で通勤し、休日はドアマンのいる店でお買物。"こういう男いるんだろうな"と思わせる、輪郭のあいまいな男の話。

黒地に銀のロゴが入ったバーニーズの袋(この本の装幀と同じ配色)が、意外と貧弱な強度しか持たなくてぺりぺり破れてくるように、"東京郊外ありきたりな生活"もそんなに堅牢なパッケージじゃない。

例えば、オカマの元恋人とバーニーズでぱったり再会する。四歳の息子にねだられて、ファーストフードで隣り合わせた若い女性にメールを送ってしまう。"お互いの倫理観を試すような嘘をついてみる"ゲームで、夫婦ともに本当のことをしゃべってしまった後の気まずさ。

それでも、日常は平穏に流れている。妻が置きっぱなしにしていた自転車に乗って帰るよう頼まれ、男は駅で自転車を探す。

"どのあたりに停めたのか、瞳に聞いていたわけではなかったが、なんとなく歩いていった方向に、その自転車は停めてあった。きっとこういうことなのだろうと筒井は思う。"(春、バーニーズで)

納得はしている。"ただ、この選択をもしもしていなければ、間違いなく別の人生があったはずで、それを望んでいるわけでもないが、こうやって「聖蹟桜ヶ丘」からの快速電車に揺られていると、この満員の車内のどこかに、その選択をしなかったもう一人の自分が乗っているような気がしてならない。"(パパが電車をおりるころ)

そしてある朝、男は衝動的、かつ冷静に、向かうべき方向とは逆にハンドルを切る。向かう先は日光。かつて修学旅行で、岩のかげに腕時計を置いたままにしてしまった。まだそこにあるような気がする...。
探索が終わり、疲れた体を金谷ホテルのロビーで休ませながら男は妻と話す。やがて...。(パーキングエリア)

ここで終っていてくれればなあ。

終章「楽園」は、その解放感が、甘美さと痛みを同時に引き起こす。うまいなあ。

それをお前は楽園と言うのか、と腹が立つけれども、まあ、いいのか。引き受けるべきものは引き受けているように見えるから。件のオカマと話すため、妻には適当な理由を言って離れるが、男は義理の息子は連れていく。女か男かわからないから困るでしょう、というオカマに「息子には混乱することを覚えてほしい」と答えるのは、間違いなく愛情の証だ(それでも言いたい。妻はどうした)。

楽園の足元に何が埋まっているかは見当もつかない。