これってどうよ。

仕事をするのが嫌い、とは言えない。では何が嫌いなのかつらつら考えてみると、つまりは、時間と空間を、特定の人間以外とは共有したくない、ということに尽きるのかもしれない。一人でいる時間を手に入れるために働いているのだ。「一人でしか」生きられないのよー(都会の負け犬には結構ありがちな事例ではないかと思われる)。

今後はその辺を考えて働きましょう。とか考えていたら、「ちゃんと仕事せんかい」というメールが届く。くぁー、釈明のメールを書かねばならぬ。恥。我ながらこの半年の仕事ぶりはひどかった。しかし、ある意味タイムリー。

忙しく人に会っていれば何か学ぶものがあるような気がしていたけれど、「時間と金をかければ何かしら得るものがある」というのは真実の一面でしかなく、ストレスはあまりに大きく、ストレスに耐えるだけの「何かが積み上がっていく感覚」は全く無く、まるで惰性で英会話教室に通っているようであった。副業の話だ。本業をこれだけ圧迫していることに、やっと気づく。

なんでこんな苦行をやるかな自分。四十にもなって、自分のできることとできないことの区別もつかないとは。芸も能も野望も(ついでに自己分析力も)ないと、こういうことになる。強烈に楽しいことも、強烈に苦しいこともなく、不安だけがあり、しかし今日飢えてはいない。非常事態が来るのを心のどこかで待ちわびているが、前に非常事態を乗り切ったのはいつのことだったか。大海原で「次の波は大きいぞ。乗り切れるか」と波乗りしてるのは楽しいけれど、「うわー、ヘドロが押し寄せてくる。逃げ切れない」なのかもしれない、次は。

毎度思うけれど、いろいろなことがある方向へ向かっていることがはっきり感じ取れることがある(いいときも悪いときも)。自分でわかるところが面白い。「自営業はネットワークが大切」と言われてそんなもんかと矢鱈名刺を配り歩いたりしたけど、出会いは、出会うべきときにしか存在しない。私が事態を打開したのは、いつも一人のときだ。一人に、戻ろう。

頬をはたかれて、眠気がふっとぶ。今日はレースなのでこのまま寝れないや。F1への道を戦っている彼ら。誰でもまあ、一人で戦っているともいえるのだけれど、より大きな栄光に向かって孤独な戦いを戦っている者に感情移入したくなるのは当然のことで。凡百の有象無象のためにスターは存在している。

P.S. これ、自分一人のために書いてるんだけど、誰でも読めるんだよなあ。

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