遥かなり美杉村

なかなかたどり着けない場所というのがあって、私にとってのそれは、三重県美杉村というところ。2002〜2003年にかけて、鷲尾雨工の『吉野朝太平記 第1巻 楠正行と正儀 (歴史小説名作館)』(富士見書房版全5巻)という時代小説を読む機会があり、何せ全5巻もあったものだから、読んでいる間に私は、すっかり、頃は14世紀、朝廷が南朝方と北朝方に分裂して争った「南北朝時代」の武将さんたちに心を奪われてしまった。

この小説の主人公は、南朝方の大武将楠木正成の三男、楠木正儀(まさのり)というあまりメジャーではない人で、二人の兄正行、正時が大義のためあっさり負け戦に命を落とすのとは対照的に、常に冷静、合理的、綿密に戦術を練り、戦には滅法強く、しかし引くべきところでは大義を犠牲にしても引く、というクールでシャープな人物として描かれていた。

北朝方に投降した(と言われている)ことで、大義に殉じた兄たちに比べると人気がないようだが、南朝方に未来がないと踏んで無駄死にしなかったのは、それはそれで立派な生き方じゃないか、と私などは思うと同時に、彼を主人公に据えた鷲尾雨工の目のつけどころは面白いなあ、と思ったものである。しかし考えてみれば、南朝の滅亡までを描こうとすれば、生き残った人物を主人公に持ってくるしかない。そういう意味では正儀しか選択肢はなかったともいえる。

さて、南朝方の傑物として後醍醐天皇と並んで圧倒的な存在感を放つのが北畠親房という方。『神皇正統記 (名著/古典籍文庫―岩波文庫復刻版)』をものし、南朝方の精神的支柱であり続けた人物なのだが、美杉村は(やっと出てきた!)、その親房の三男、顕能が初代伊勢国司として居所を定めた場所。顕能が築いたという霧山城跡や、北畠氏館跡庭園、親房も祀られている北畠神社など、やはり一度訪ねておかなくてはならない場所なのである。

また、美杉村には川上山若宮八幡宮というお宮があり、こちらもなんだか只事でない雰囲気が。

本当なら榛原〜曽爾村御杖村と、伊勢本街道を歩いて美杉村までたどり着きたいのだが、これは一人では少し心もとないので、いずれ友人と予定を組んで行くしかない。

まずは一度美杉村に、と思って、F1決勝の夜は、鈴鹿から下って、名松線の始点である松阪に宿を取ったのだが。