旅先で話し込む

何もかも忘れてしまわないうちに書いておかなくては。

F1の決勝後、スタンドで再放送を見た後、すっかり日が暮れて、しかし祭りの後を楽しむ人込みを抜けてサーキットを後にする。相変わらず白子行きのバスを待つ行列は長かったけれども、時間が遅い分、前日よりは待たずにすんだ。白子駅に到着し、名古屋方面に向かうホームの混雑を横目に、ちょうど来合わせた伊勢方面の電車に乗る。

今夜の宿は、松阪駅前の「エースイン・松阪」。何分急な予約だったので、選択肢のないまま選んだ宿だったが、夕方にハッピー・アワーがあったり、朝食が無料だったりと、営業努力が感じられる。お部屋もこざっぱりして、必要十分な感じ。夕食を食べに目抜き通りを歩くと、F1帰りと思しき人たちがふらふらしているが、いかんせん開いている店が圧倒的に少ない。松阪牛を食べる身分じゃなし、ちょっとした洋食屋、それが無理ならファミレスでもと思って歩き回ったけれど、「ステーキ」と「ホルモン焼」と「寿司」の三択しかないのだった。「あちらの方向に何やら明かりが」と思って歩いていくと、通りには男の人しかいなかったので、あきらめてファミリーマートで適当に買ってきてすませた。

翌日は、名松線の始発に乗っていざ美杉村へ、と意気込んで早起きしてみたものの、外を覗くと雨。土曜日の予選であれだけ雨に降られたくせに、この期に及んで「雨は降らない」という先入観は抜きがたく、雨傘は昨日、宅配便で送り返しちまった。美杉村で3、4時間、緑に囲まれて歩くのもよかろう、というのはあくまでも晴れていれば、の話。これは今回、縁がなかったかな、とあきらめて、午前中は松阪観光、午後から名古屋に戻って、友人夫妻と会うことにする。

大学の仲良しの後輩が、名古屋に住む旦那に合流するために離京したのはえーといつだっけ?今回は金も暇もなさそうなので連絡を取らずにいたところ、向こうから「食事でもどうですか」と誘っていただいたのだった。昨日の段階では、午後一杯まで美杉村にいて、夕方に名古屋に移動、新幹線の最終まで飲もうという計画であったが、元々17:00発の東名高速バスを予約しているので、食事を昼食に切り替えてもらう。

松阪は、三井家や本居宣長のゆかりの地。駅前の観光案内所で観光マップを貰って見ると、なんだかよさげな寺や神社が結構たくさんある。右回りでのんびり一周するつもりで職人通りという通りを歩き始めたところ、城下町にはつきものの骨董屋さんが。「眼鏡やなかの」という名前だが、扱っているのはアンティークの時計。時計は現段階では興味がないけれど、ウィンドウのディスプレイに、何やら目を引くものが...。袈裟をまとった坊さんの陶製香炉を発見。坊さんが両手に抱えた鉢から香の煙が上がるしくみで、何より坊さんの顔がほのぼのしている。私は変り種の香炉に弱いのである。

からからとガラス戸をあけて、店の中へ。「表の香炉はおいくらですか」と尋ねると、奥様が「2千円にまけておきますよ」とのこと。奥様の親戚の方が京都で陶芸をなさっているとのことで、一体一体顔かたちが異なる。ふと思いついて、名古屋にいる友人へのおみやげにしようと思い、二点いただくことに。包むのを待つ間、「そういえばケーキを焼いたので、よかったらどうぞ」とお茶とケーキが。甘いものをいただく間に、つい口もなめらかに。気づいたらカウンターを挟んでご主人と話し込む体勢に。このお店はもともとは、普通の街の時計屋だったそうだ。しかし「このままで商売をやっていけるのだろうか」と思っていた矢先に、古い時計の在庫が出てきた。先代から時計の修理の技術を引き継いでいたご主人は「今後はアンティークでやっていこう」と決心する。その方向転換が功を奏し、今ではネットを通じて全国にお客さんがいるそうだ。「修理を依頼されている時計がこんなにあるんですよ」と、引き出しをあけて見せてくださる。カウンターに並んでいるセイコーの古い時計には、何やら年代や型式が書いてあり、何やら有難い感じが漂っている。

すぐ近くの厄除け岡寺山継松寺にお参りして納経印をいただいた後、今度は、さきほどの奥様が営んでいらっしゃる「志あわせや」に移動。こちらはすぐに辞そうと思っていたのだが、先客の女性がやはり、昨日鈴鹿にいらしたことがわかって、F1トークが始まってしまう。その方は多分、50は過ぎているとお見受けしたのだが、セナの頃からのF1フリークで、現在は熱心な琢磨ファンとのこと。「うちの息子はどうして琢磨みたいに育ってくれなかったのかしら」とおっしゃるので、「琢磨のどこがお好きですか?」と尋ねると、「前向きなところ」と「道なきところに道を切り開いてきた努力家なところ」だそうだ。結婚を控えた息子を先に静岡に帰し、ご自身は、また雨の中、琢磨のトークイベントだかに出るために午後から鈴鹿に戻るとか。

「なかの」のご主人も大変腰の低い、おしゃべりの楽しい方だったが、奥様も美人で、観光客が知りたい情報をよくわかってらっしゃる上に、松阪に対する愛着が伝わってくるので、「ぜひそこを見たい」とか「そのお店で食べたい」という気持ちになる。こちらでは、継松寺の縁日でも売りに出すという、さるはじきという厄除けの民芸品を購入。竹でできた「ばね」でサルをはじくという、仕掛けとしては素朴なものなのだが、これ、一つ一つ手作りなのである。ばねも、プラスチック製ではなく手で削った竹なので、誰にでも作れるというものではない。つい一つ買ってしまった。厄を払ってくれるかな。

ところで、和牛の銘柄を言われてもちっともわからない当方なのだが、「なかの」のご主人がおっしゃるには、「松阪牛は肉が甘い。長時間食べ続けるにはちょっとくどいけれども、食べつけると、他の産地とは比較にならない美味しさ」だと真顔で語ってらしたので、俄然、挑戦意欲が高まる。昨夜の町歩きのとき見かけた「ノエル」というお店が、そんなに高くなくておいしいらしい。松阪に住んでいると大変なのは、松阪以外に住んでいる知人から「土産は松阪牛」と指定されることだそうだ。名古屋の友人にも買っていってやれると良いのだが、今回は何しろ予算不足だ。すまぬ、友よ。

と言っている間に午前中は終了。名古屋に着いて以来初めてJRに乗って名古屋へ。うたた寝しながらの道中だったが、鈴鹿サーキットの近辺を通ったときはちょうど目がさめていて、観覧車が見えた。

名古屋に2:00過ぎに到着し、久しぶりに会う友人夫妻と昼食。「飲み」が本領の二人と昼間に会うのは片手落ちだが、三人で酔っ払うのはまたの機会に。変わらない二人のたたずまいに安心する。女性の方は現在、フリーの編集者兼翻訳者だが、二人とも基本的には学究の徒である。金にならないことを金にならないとわかっていてやっている潔さがある。旦那は現在、イタリアの中世音楽史の一こまについて本を執筆中。英語なので出版されるとしても外国だが、出版の暁にはもちろん、大々的(!)に宣伝するつもりである。

田楽を食べて、片道5千円の昼行東名高速バスで東京へ。F3観戦でバスツアーには体が慣れているらしく、結局7時間バスに乗っていたけれど疲れは感じなかった。その気になれば、往復1万円で名古屋には遊びに来れるのよね。しかし、瀬戸、美濃、常滑、多治見を回って、荷物と費用がどのくらい嵩むかと思うと、簡単には来れないのよ。

出発するまでは迷った旅だったけれど、来てよかった。迷いが深かったことと、ライコネンが勝ったことを、セットで思い出すであろう旅。ノルマの3冊は読了。内容は?。さあこれで、友人に出産祝いとして発送できる。彼女、村上春樹が好きなんだよな。村上春樹が好きという作家の作品は好きなことが多いのに、御大の作品は、やっぱり苦手である。好きでもない人の体温の生暖かさみたいなものを感じて。ああ、これも今回の旅の記憶に組み込まれそう。(11/04)