『SWITCH』スガシカオ特集号

明日発売の『SWITCH』は、スガシカオ特集号。処女小説掲載。オンラインストア経由の購入特典として、SWITCH最新号オリジナルポスタープレゼントとのこと(http://www.switch-pub.co.jp/topics/060915_poster.html)。

見かければ目を通すとは思うけど、ただ、今回リリースのアルバム『PARADE (初回限定盤)(DVD付)』は、未だにちょっと、ぴんと来ないのよね。新しいアルバムを購入したら、まる一週間聴き続けるのが普通なのに、今回は全体的にそのパワーが無いような。あたしだけ?ついでに、今頃読んでみた『意味がなければスイングはない』のスガシカオ論も助けにならない。

「ポスト・オウム的」というと、いささか話がアブナくなってしまうけれど、そこにあるものはたしかに、1995年以降でなければうまく通じにくい、漠とした「カタストロフ憧憬」ではないか、という気がしないでもない。

柔らかなカオス、あっけないほど自明な屈託、局所的カタストロフの予感、健全な自虐、明るいラディカリズム......。

いいんだけど。「ゼルキンルービンシュタイン」「ブルース・スプリングスティーンと彼のアメリカ」ほどの説得力はなかったなあ。

端的に言うと、私は、私の代わりにスガシカオには不幸でいてほしいのだけれど(ひどいなあ)、シカオちゃんはもう、身代わりにはなってくれないんじゃないかな、という気が。そんな風に思うのは、彼が結婚したということ、それに関して口をつぐんでいること*1も関係しているのかもしれない。結婚後の心境の変化を聞いたところでそれがどうしたって話で、私生活と創られる音楽が切り離されていてもそれは何の問題もないことなんだけれど、猜疑心の強い私は思うのだった。「もう自分のものじゃない不幸(や欠落)を売ってるんじゃないでしょうね」

愛だの恋だのを歌う人ならともかく、家族の存在は、彼の詞の世界に大きく関わっているはずなのになあ(F1ドライバーも、結婚したらタイム落ちるのよ)。シカオちゃんが変わっていくことも当然で(2年ぶりのリリース)、でも、新曲を聴いても彼の輪郭がよくわからない。薄皮いちまい挟まっている感じ。「聴きたいから聴く」のではなく、「何を聴き取るべきなのか」を知りたくて聴くなんて、面倒なことしてるなあ。

村上春樹に戻ると、「音楽そのものについて語る」よりも、「その音楽を嵌め込んだお話」の方が読みやすいし読み応えがあると思った。上手な比喩は、上手に別のお話に誘導されていく感じ。背景とテーマが完全に揃えばきれいな絵になるけれど、ピースが欠けると余韻を残さず単に不完全になるジグソーパズル。...説明が巧すぎるってことかな。まあ、好みじゃないってことなんだけど。

*1:聞き逃しているだけかもしれないけど。