今夜が、安らかに眠れる最後の夜かもしれない、とか書いても、私を長く知る人は「あんたの『今度こそだめだ』は聞き飽きたわよ」と怒るか笑うかするだけかも。でも、まじでやばいのよね。あー、明日が怖い。

なんか、底の抜けた柄杓で水を運んでいるような気がする毎日。さぼりにさぼっても、まだ底が見えない。金はともかく、これだけ時間に恵まれていれば、やれることはもっとたくさんあったはずなのに、ここ5年間の私の労働市場価値は、ひたすら下がる一方だった。食い止められなくて。面白くないことに耐える必要性は全く感じないけれど(若い頃は別として)、面白いものを見つけ出す/創り出す能力が鈍ったと思うとぞっとしない。

プライベートではレースとはてなが新しい世界を開いてくれたけれど、基本的に私は、仕事のこと=食っていくことばかり考えている。なぜなら、食っていくための土台がきちんとあるとはとても言えない状況だから。経済的自由って、お金を今たくさん持っているとかいうことじゃなくて、「自分が必要なだけのお金を、ゼロから作りだすことができる」ってことよね。「自分は、南の島で畑を耕して魚を獲って生活すればいいや」って人に大層なお金は要らないし、「3ヶ月あれば、パトロンの一人や二人どうにでもなる」って人に事務能力は関係ない。でも、私の場合、たまたまラッキーで現在の仕事を見つけて、しかも、現在の契約が切れたとしたら、今の生活を再現するだけの能力がない。

そのギャップをなんとか埋め合わせよう、とは思ってきたのだけれど、相変わらず「余裕があるうちに次の手立てを準備する」ことはできなかったなあ。怠け者の上に不器用なのだ。あと、自営業の営業って心底苦手だ、と実感したのは、営業って「私があなたを幸せにします」「私と関わるといいことがありますよ」って言うことと同義だから。私は「あなた」の幸不幸とは、一切関わりたくない。

ということは、独り言をつぶやくように積み上げていく仕事を見つけるか、いろんなことがどうでもいいくらい驚いたり面白かったりする仕事を見つけるか(実際、今の仕事を始めて数年はそうだった)、というあたりを検討しなければならないわけで。「会社」や「上司」に責任を押し付けたくても、頭が高いだけの無能な個人事業者を(高給で)雇うところなんかありませんって。

不安に耐える脳内薬を長く服用してきたおかげで、いまいちぴんと来ないなあ。そりゃ、ぬるま湯が5年以上も続けばねえ。断ち切る勇気がなかった。

ところで、ブログで読んで面白いと思われることの一つは、書いている人が「新しい環境に移行する」ことではないかと思う。学生さんが社会人になるとか(残念ながら、忙しくて閉じちゃう人もいるけれど)。あるいは「転落する」「上昇する」「停滞中に悪あがきをする(シカオちゃん頑張れ!)」といった、「動き」を志向する動き。「転落中」「悪あがき中」をつい外に見せちゃうのは、一部の友人から非難されるような「露出趣味」だけではないんだけれど、「自分を客観視して面白がれる」とかなんとか聞こえの良い表現を言い換えれば、「孤独や苦痛までも自己陶酔の道具にしてしまう」ということになる。あー、この麻酔が切れませんように。