私の文章には「...だけれども」が多い。自分でもわかっている。一つも入れないように修行したほうがいいかも。

この間『『ニッポン通』の眼―異文化交流の四世紀』を読んでいたら、こんな記述があった。

まもなく彼は、西洋人が日本語を話す時に「けれども」や「すみません」を使いすぎる傾向があることに気がついた。ペリーの通訳者の一人ウェルス博士はこのために「けれどもさん(Mr. Keredomo)」と名づけられたほどだった。

Ms. Keredomo。何事も留保しがち。

著者はこの本を、日本語で物している。多少翻訳調である。日本人だったら「...と思われる」と書きそうなところを、「...だった」と、身も蓋もなく断言して迷いがない。思わず笑ってしまうがしかし、笑いを意図して書かれたわけではないと思われる。

日本どころか、国内旅行すら出かけなかったくせに、日本語の翻訳の達人だったという英国のArthur Waley(1889-1966)という人に興味を覚える。

一番印象に残ったのは、ソ連時代の日本人学者たち。優秀な人材が粛清を免れ得なかった。ドミトリー・マテエヴィッチ・ポズドネエフ。ニコライ・アレクサンドロヴィッチ・ネフスキー。どちらも没年は1937年である。