もう今日はおうちで仕事をすることにする。ただでさえ規定労働時間オーバーなのに、際限なさ過ぎる。図書館は明日も開いてるだろうし。BGMは、Fazil Sayの『ラプソディ・イン・ブルー~サイ・プレイズ・ガーシュウィン』。2週間前はすんなり借りられたのに、いつのまにか予約10件って、何かCMにでも使われるようになったのだろうか。

なんだか日記も際限なく怠けてしまいそうなので、ちょっと復帰? Fotolifeの写真更新は、やっと今年分までたどり着いた。

いや、限定解除の講習も瀬戸際だし、下手すると確定申告が終わるまで、[新刊memo]以外の更新は無理かも、と思っていたら、昨日の講習で、3月10日までに「みきわめ」で良好をもらえたら、限定解除の講習期限も1ヵ月延長されると聞いたので、ささやかに気が楽になったところなのだ。それまで私は、最悪の場合、あと2時間は講習を受けて、検定を受けて、さらに落ちたら、もう1時間講習を受けて再検定を受けて、という一連の作業を10日までに終わらせなければならないと思っていたので、珍しくも、1日1日をかなり真剣に生きざるを得なかったのが大変疲れた。「みきわめ」良好までであれば楽勝である。

歯医者の治療も進行中である。結構処置のスピードが速い先生なので、1ヵ月くらいで片がつくつもりでいたところ、この間新たに撮ったレントゲン写真を目にした先生は、嘆声なのか歓声なのか患者には聞き分けにくい声を発した後、「この根の治療はちょっと時間がかかります。通常の治療で完治しない場合は手術ですね」と嬉しそうに説明してくれた。手術のできる先生は、手術が好き。以前かかった口腔外科医は、少し受け口の私に、「噛み合わせ不便でしょう?顎の骨を切りませんか?」と、治療もそこそこに切り出したっけ。まあ、自分の仕事が好きなのは悪いことじゃない。

読書のキーワードは「大量死」。『小説のストラテジー』『ηなのに夢のよう (講談社ノベルス)』『最後のウィネベーゴ (奇想コレクション)』『法月綸太郎ミステリー塾 国内編 名探偵はなぜ時代から逃れられないのか』。今年に入ってから法月綸太郎は二冊目。ばりばりの「新本格」は苦手で、綾辻・法月・島田は基本的に読まない。それが『阿部和重対談集』経由で久しぶりに『生首に聞いてみろ』を読んでみたら、トリックのためのこじつけがあまり感じられなくて、結構普通に面白かった。ついでに『名探偵』も手に取ってみた次第。東野・岡嶋・歌野という流れがある由。道理で東野も歌野も好きじゃないわけだ。バックグラウンドや作者の意図がわかっても、読む気をそそられない場合もある。「構築」への意思は、私がミステリを選ぶときの第一の基準ではない。その前に読んだ『赤朽葉家の伝説』は『少女七竈と七人の可愛そうな大人』から更にパワーアップしていた。伸び盛りだなあ。製鉄を生業とする山陰の旧家の女性三代記。二代目の、少女マンガ家になった毛鞠が私とほぼ同年代。現実世界で『ホットロード』を描いていた紡木たくも、実は1964年生まれだったのか。桜庭一樹自身は1971年生まれ。なるほど、少し、ずれがある。毛鞠の親友だった穂積蝶子の死は、バブル突入前の1983年頃。毛鞠の死は、バブル終焉の時期と重なる。しかし、死んだ少女たちを悼む気持ちは、なぜかあの時代を思い出すときの感情になじむ。そんな風に思い出していたのだとは、自分では気づかなかったけれど。大人にならないまま死んだ蝶子と毛鞠。感傷というだけではなく、老いたというだけではなく、大きな死はこれまで自分の人生の中になかったはずなのに、「死」が自分の心の中にある不思議。少女だったことなんか、なかったはずだが。最終章の謎解き部分だけは、ちょっと違和感が残った。ミステリにする必然性は感じなかった。