新聞の縮刷版を各誌当たってみようと思って、手近なところで、4月にリニューアルオープンした千代田図書館http://www.library.chiyoda.tokyo.jp/press/index.html)に出かけてみた。九段下の駅からほど近く。皇居を見下ろす役所ってのは、千代田区ならでは。書架は開口部を塞がず、窓からの眺めを楽しめるように配置されているので、開放感がある。

売りの「新書マップ」は、大体の感じはわかっているので触らず。「ビジネスマンも立ち寄れるように」10時まで開館というのはすばらしい。しかし、仕事の続きをここでやるのは、ちょっと難しいかな。居心地の良さそうなPC席は、予約で満席だったし。ビジネスに使えそうな資料が、特に豊富に揃っているわけでもない。普段からこの辺りに縁がある人なら使い勝手もいいかもしれないが、わざわざ来るほどでもなさそうだ。都立の中央か日比谷を、深夜料金付きで夜中まで開けといてくれないかなあ。

10Fにある、これも眺めのよい喫茶室は、コーヒー200円。定食350円。これはまた破格の安さ。

久しぶりに、都庁の「都民情報ルーム」にも足を伸ばしてみた(http://www.metro.tokyo.jp/POLICY/JOHO/BOOK/room.htm)。いろいろ一覧で見られるのはありがたいが、書架の前扉を持ち上げて、バックナンバーを勝手に見るのは不可。地図や、地盤関係の資料は、閲覧度が高いようだ。

そんな場合ではないのだが、このところ、水曜日に全く身動きが取れなかったので、今日こそは映画を見ることにする。新宿武蔵野館で『不完全なふたり』と『スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー』を二本立て。諏訪敦彦(「あつひこ」で変換して、でも読みは「のぶひろ」)の作品を見るのは久しぶり。倦怠期のフランス人夫婦の話。役者もフランス人なら、舞台もフランス。フランス語を耳で聞いて理解できるわけでなく、字幕を文字で追っているせいか、台詞が妙に日本くさい。「チーズにワインの人たちが、本当にこんな会話してるの?」という感じ。赤玉ワインぽいというか。インテリでもなんでもない人たちが、詩的だったり哲学的だったりという台詞をひょいっと吐いたりする、「おお!フランス人だ」な瞬間がない。

おまけに、主役の女性があまり好きになれない。「今まさにおばさんになろうとしているそこそこ美しい女性」。美しいけれど、なんとはなしにもっさり。彼女が、うまく行っていない夫に向かって嘲笑を浴びせるその笑い声。本気で夫を莫迦にしているのではなくて、夫の心にひっかかりを残したいというそれだけの理由で、みじめな努力を続ける。見苦しい。ぐだぐだのまま終わるかと思いきや、ラストはにやり。この監督のことだから、この作品も、脚本はなりゆきまかせで作ったのかもしれないけど、最後の台詞だけは最初から存在してたんだろうな。

私の座っている列の一番左端に、中国人のカップルが陣取っていて、始終小声でしゃべっていたのを、私の隣の人が「静かにしてください」と注意していた。フランス語の台詞と日本語の字幕。字幕を読んでいたのだろうか。日本の原作を、中国人の役者が中国語で演じ、日本で撮った『イニシャルD』が、全く違和感がなかったことを思い出した。この作品、フランス人は違和感なく見たんだろうか。

『スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー』は、ル・シネマで見損ねたので、ここでやっていてラッキー(ル・シネマでも再上映が決まっている)。自由な線から画面は始まる。走り書きの。ゲーリーの描いたスケッチを拡大して視たときの線の連なりは、勢いを失うことなく、交差し、離れてはまた交わる。揺れ、走り、生きている何かの軌跡のようだ。これが建築のスケッチだとは?

ゲーリーと助手のクレイグ・ウェブが建築の模型を作っているシーンに切り替わる。片面が銀色の厚紙を、無造作に鋏で切り取ってセロテープで貼り付けていくだけ。幼児の工作と、技術的にはなんら変わりがない。ちょきんと切る。貼り付ける。たまに折ったりする。

建築というものに対して、何かしら「まっすぐ」なもの、「正しい円や四角」で構成されているものという印象を持っていたことに気づく。

「絵の中に、建築の形を見る」とゲーリーは言っていた。「建築にふさわしい形」を取り出すのではなく、形をそのまま建築に置き換える。彫刻と変わらない。

陶芸をやっていた。ついでにトラックの運転手もやっていた。飛行機の操縦を習っていたらパイロットになっていたかも。トロント大学で印象に残った講義をあとで調べたら、アアルトによるものだった。本名はゴールドバーグ。ユダヤ人ゆえの差別も受けた。彼のセラピストであるミルトン・ウェクスラーのところには、「第二のゲーリーになりたい」と、大勢の建築家が押しかけたそうだ。建築家もセラピーを受けるものらしい。アメリカだから? 芸術家でもあるから当たり前か。

「助手」ではなく、設計上の「パートナー」が何人もいるのに驚いた。ゲーリーのイメージを、現実の形に落とし込んでいく役割。何十年のつきあいとはいえ、ゲーリーに比べれば若い世代が多いように見えた。理想的。PCは使えないというゲーリーを、ソフトウェアや3Dの専門家がサポートする。彼らの力を借りて、ゲーリーの曲線は、数値を持つ線に引き直される。

彼の建築のどれもこれもいいと思うわけではない。でも、ビルバオグッゲンハイム美術館は別格。内部も美しい。微妙に色の違う同じ素材のグラデーション、差し込む光。1989年に一度訪れたビルバオは、静かで何もない街だった。美術館が住民にも自律を促したと、地元のジャーナリストが話していた。

巨きな建築は、神殿のようで、心が高揚する。でも、それが「美しく、善いもの」であるかどうかはわからない。好きな音楽を耳にしたときの、直感的な好悪の判断とは別だ。郷愁の一部になってしまえばいいと思い、いつまでも飼い慣らされない新しいものであってほしいとも思う。ゲーリーは、自らの「才能という病」と、どう折り合いをつけているのだろうか。

認められ、自信がつくにつれ、彼は周囲の人間と対等になっていった、というようなことを、セラピストが言っていた。チームワーク抜きで仕事をすることは考えられない、とゲーリーは語っていた。というような部分に、何かのヒントがあるように思った。「妥協」という言葉が美しくないとすれば、「和解」という言葉が、建築家にはよく似合う。『マイ・アーキテクト』を見終わったときも、確かそう思った。模型ばかり、架空の建築の設計図ばかり、廃墟ばかり、という世界にも魅力を感じるが、それはまた、別の世界だ。