午後からずっと本を読みながら、「金曜日に予定が入っていたはずなのにどうしても思い出せない。手帳を調べなくては」と延々考えていたら、なんのことはない、今日が金曜日で、今日の予定はちゃんとわかっているのだった。木曜日のつもりでいたことによる、今日でありながら今日ではない、架空の一日に向けた思い煩い。ご苦労なことである。

ちょっと前まで、人と会う用事がごく少ない割に、よく予定がバッティングしたものだが、このところ、きれいに毎日一つか二つ割り振られていく。唯一、句会の日だけダメになってしまったのが残念。

最近、自分が出したアイディアを、他人が自分のものとして話す、という事態が3度ほど起きた。最初は驚いたが、多分3度とも、相手に特に悪意はない。気になるなら「それを言い始めたのは私だ!」と主張すれば良いけれども、こうして書いてみればわかる通り、馬鹿くさいことだ。「あの人がいるといいアイディアが出る(こともある)」ということが浸透することが大事。事態が良いほうに進むこと、そして、次の何かに取り掛かることが大事。重きを置かれないということはたまに淋しいが(でも信用できるか否かを判別する手間が省けるし、舐められ慣れていることは、時に強い)、良い発信をきちんと続ける限りにおいて、それが誰の目にも留まらないということはあり得ない。自分にとっての蓄積になることも間違いない。その点は、これまでの人生を省みても確かである(場所を間違えていた場合は出てゆく必要があるが)。

このところ、携帯不携帯の母がすぐに電話に出るので、何事かと思ったら、らくらくホンについている万歩計機能をなんと自力で発見し、その日何歩歩いたかカウンターを見るのが楽しみなので、携帯用ポーチを手作りしていつも持っているよし。「万歩計」がきっかけになるとは予想できなかった。家の中にいても数千歩は歩くそうである。足腰に関しては、しばらくは心配の必要はなさそうだ。