先週の土曜日から始まった出ずっぱりデイズの、唯一の中日。といっても細かい用事が山積みで、心が落ち着かない。友人に電話してみても、グルジア映画とかアフガニスタン映画とか、そういうものを観たいとかで、現在の波長に合わず。知り合いからコンサートのチケットが送られてきたが、その日はアウトだ。今年の年賀状を見ても、連絡先が無い。

話をしていると妙に甘え心を刺激される、作為のない感じの男の子に先日出会って、こういう子がお友だちになってくれると心安らぐだろうなー、とか思うが、用もなくお友だちにはなれないのだった。真逆の、気障な、他人との壁が高いんだか低いんだかよくわかんない、まあ概ね自信があるんだろうけど、どこかになんかのコンプレックスがあるんだろう、と思わせる男も、非常にとちょっとの中間くらいで魅力的ながら、お近づきになりようがない。

用がないのに用を作って話しかける、というのもみっともなく馬鹿らしくてそんな選択肢は私の辞書には存在しないことを思うと、自然に用ができるような立派な社会人に変身するしかない。大変だなー。むしろ涙ぐましいな。あー、だんだん、仕事をするほうに追い込まれつつあるな。

「居場所無く」「目的無く」生きる、という生き方が、突如、とってもかっこよく思える。

目的があるようなつもりにでもならなきゃ、居場所が無い、身のおきどころの無さを堪えることは、多少、難しい。男と近づきになるにも、男を切り捨てるにも、目的らしきものは有効だ。きっと、見方によっては歪んでるんだろうなあ、と思いつつ、生身の男という変数の振り幅は、私にはどうにも耐え難いので、「友情」で固定できないかと思うのだった。

教養とは関係ないかもしれないけれど、周囲はみんな、なんと勉強していることか。地上なんかに降りるものか、と抵抗してきたのに、私を受け容れる人が、そして、少しずつ増えていく魅力的な一握りが、私を引きずりおろす。