自分はやっぱり、社会人としては全くだめだということがわかる。原稿2つのうち、1つは落ちて来月号に。1つについてはさっきメールしたのだが、昨日、担当の人に「最終校ってのは、最終的な確認をする場所であって、原稿を持ち込む場所じゃありません。以前も言ったと思いますけど?」と、冷たく怒られた。温厚な青年の堪忍袋の切れる音。落ちたほうの原稿の取材相手にお詫びの電話をいれたら、こちらももちろん静かに不機嫌だった。世間に出ると必ず恥をかくのはいいとして、必ず人に迷惑をかけるのはなんとかしないと、外界からシャットアウトされて、ひきこもる以外に選択肢がなくなってしまう。

以前はあっさり、「面倒だから引きこもろうっと」で済ませてきたのだが、もう、引きこもっていられる金銭的な余裕がない。そして、外の世界に今は若干未練がある。

2日間連続でほとんど眠れないことは覚悟の上で、昨日の昼間は本屋と図書館、夜は翻訳のクラスに出て、その後は大学の後輩たちと飲み会。一人台湾から戻ってきたので。文科系サークルなのに彼らみんな体育会系で、当時は、というか前回会ったときまでは、言語がよくわからなかった。それがなんだか翻訳機なしでもしゃべれるようになっていて、不思議に思う。歌ったり、踊ったり、走ったり、叫んだりするものがきらきらして見えるのは、老いたということなのかもしれない。

(それなのにやることはへまばかりで、若者に怒られたりする。ああ、へまばかり、というのとは違うな。そんななごやかなものではなくて、ルーズでだらしなくて自己管理ができないということだ。たとえ漢字は読めても)

仕事の世界って怖い。リサーチのほうについては、職人さんの力でなんとか続けてきたけれど、副業のほうは、「ルーズでだらしなくて」がある限り仕事にならない。いや、客は相性があえば、それでなんとかなるかもしれないが、問題は同業者だ。嫌いな人たちとつきあうつもりはさらさらないけれど、ささやかに手堅く元気に生きるおじさんたちの魅力もわかるようになってしまった。不本意ながら。

男性でも女性でも、率直な人たちが私を動かす。他人に何かを期待するのはしんどい。でも、期待し、される関係のほうに手をひいた人が。本人に自覚はないだろう。でも多分、後々まで何度も思い出す。甘さや痛みではなく、ただ単に「この人はなんて生き生きとしているんだろう」と気づいたそれだけの瞬間を。

毎日2時間睡眠だけど、今日も飲み会。明日はランチ。その後また1件入りそうな。間違いなく、飲み会人生最多期間。こんな使えない私によくもまあお誘いが。こうなりゃふらふらになっても出てやる。

しかし懐が痛むなあ。こんな清らかな生活でも。