最後の取材。選挙。一言で言えば、圧倒的に選挙。その前の数時間は、付け足し。投票権がなかったので(完全な取材参加)、中立な傍観者、だと自分自身信じていたのだが、なんの。衝撃波で、思考は停止し、虚脱感で今朝までものも食べられなかった。

両派にとって番狂わせ。しかし、10票差、人数にして5人分の差は、結果だけ見れば「番狂わせ」には見えないかもしれない。僅差の劇的勝利または敗北というべきか。「人生が」というほどではないにしろ、一瞬で自分の立ち位置が切り替わる、劇的ビフォーアフター。高揚。瓦解。まあ、選挙というものの面白いこと。これは、大の男が夢中になるのも無理はない。

自分の立ち位置にどう影響があるのかはわからないが、(どちらが勝っていても、多分、評価する人と批判する人、双方がいるはず)、まあ、公益を考えれば、この結果のほうが良かったのではないか。しかし、地殻変動とでも言うべき、上層部の一新。スローガンはともかく、これだけ変われば、実態のほうが変わらざるを得まい。今年は面白いだろう。あー、取材したかったなあ。

いろいろ、状況や雰囲気にのまれて、取材が中途半端になってしまったのが無念。かなり後悔。場数を踏んでないって、こういうことか、と立ち尽くす。

人生は長い。挽回の機会は、きっとある。「長いスパンで考えること」の意味が、やっとわかってきた。それは、年を取ることの楽しさでもある。そして、人生は長くても、一生で、その日、その場、その一瞬にしか起こりえないことがある。そういうことの繰り返しだと思えば、人と会うことも、きっと楽しい。40では悟らなかったけど、44にして、ちょっと悟ったかなあ。

後悔は、メールでちょっと微修正して(こんなときに使わなければ、なんのための言葉の力だ)、感慨にふける間もなくお返事がきた。ちょっとずるいなあ。あたしにどうしろと?