十月十日以上の難産でしたが、どうにか産まれました。

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この手のことは、ここでは書かないようにしているけれど、まあ特別に。膨大なテキストを書いた。専門業務以外はほとんど10割。作りたかったのは自分だから、自分が動くしかなくて、でも、仕事は遅いしだらしないし、プレッシャーにはめちゃめちゃ弱いし、かといって、専門業務以外は人に振り分けることもできなくて(たまたま集まった臨時の素人集団だから、現状維持以上の仕事をお願いするというのは、いろいろ難しいものがあって)、他ならぬ自分自身の頭の中にある構想に泣かされながら(自分の中になければ、作る必要もないのに!)、一文字一文字、打ち出していったのだった。

HP担当スタッフは総勢3人。責任者とデザイナーさん(http://blog.kahans.com/)と。彼らは私の考えと熱意を必ずしも共有してくれていたわけではなかったけれど、責任者の子は何事も賢くて、ウェブの知識もあって、こちらの言うことの趣旨はよく理解して、対外的な環境を押さえてくれた。彼がいなければ、よくわかっていない人たちからのよくわからない雑音に苦しめられて大変だったんじゃないか。デザイナーさんはレース友だちで、そのセンスに惚れ込んでいたから参加していただいたのだけれど、実際に仕事をしてみたら思いのほか相性が悪く(笑)、そりゃあこちらの仕事ぶりは褒められたものじゃないけど、それでもこの熱意をわかってくれてもいいのに! とか思いながら(そういうことを期待する段階でビジネスから離れている)、もう原稿を待つのもいい加減嫌になった頃合に、不審に膨大なデータ集を送りつけたりして、きっといろいろ頭を抱えさせたのではないかと。ラスト20日間、よくもまあつきあってくださいました。ちゃんと成果物が上がった今になってわかったことだけれど、相性がよかろうが悪かろうか、多少考えが違ってようが、いい仕事になるように、という目的さえぶれていなければ、それだけで有り難いんだなあ、と思ったことでした。まあそれも、センスと頭脳に対する信頼があってこそですが。3人で飲んだことすら1度もなかったけど、仕事としてはいいチームワークだったかも。船頭が1人ってのも、実は重要だったか。そして、歯車が一つずれていたら、頓挫していた可能性だって、きっとゼロではない。

成果物が残る仕事というのは、達成感があるものだなあ。結局、熱意があれば、人は力を貸してくれるのだと、かなりの部分で物事は達成されるのだということを、身をもって実感しました。嫌われたり疎まれたり、という段階で撤退していた過去のあれこれを考えると、ナイーブだったんだなあ、と懐かしく思います。そして、怠け者の私が、そこまで執念を持ってやれる対象に出会ったということに、感謝。

とはいえ、問い合せフォームから送られてきた最初の案件を見て、ぎょっとしている私ですが(まだテストで残している)。なるほど、現実というのは、こういう感触でもって斬り込んでくるものであったか。