「教育は混乱を好む」。至言だと思う。

これが東大の授業ですか。』佐藤良明、研究社、09/2004

東大で、それまでとは全く異なるタイプの革新的「英語I」の講義が始まったのは1993年。1991年から2001年まで作業を取り仕切ったのが著者の佐藤さんである。それまでの訳読中心の楽な授業から、英語の基礎体力をきちんと養成できる授業を、というと少人数スパルタ英会話みたいなものを考えてしまうが、それは違う。"何千人もの学生を学年統一教材、しかも統一進度でさばいてしまう"。教材はテキストからビデオまで、全て佐藤さんたちの手作り。徹底して教える側の手抜きを排する教材である。

①物事は順番に、平等に。②負担は増やさず。③ひとさまの授業に口出ししない。④格好がつけば、やったのと同じ。こんな原則がはびこる大学という組織(大学に限らないと思う)の中で、良い教材を作るために立ち上がった佐藤さんたち。
それは他人に負担を強いる作業だった。ことをもっと大変にしたのは、それがプライドに係わる問題だったからだ。

研究は優秀でも「生の英語は苦手」「授業は嫌い」「教えるのは下手」という教師は存在するだろう。その中に「授業の質を求める」競争を持ち込んだら?「授業の質」とは違う部分に自分の存在意義を求める人間にとっては致命的だろう。ましてや「肩書」自体に自分の優秀さを確認したいタイプにとっては。

さらに、佐藤さんは追い討ちをかける。「昔の教養と今の教養は違うんじゃないですか?」と。

結局「開拓者グループ」が抜けた後、一連の作業はルーティン化し、英語Iは停滞したらしい。"惰性がつくるスムーズさよりは、混乱を通したインヴォルヴメントを"という佐藤さんの持論は、何にでも通じることだと思う。ただ、生産的な混乱を生み出す力を誰でもが持てるわけではない。