幽閉
『幽閉』アメリー・ノトン著、伝田温訳、飯田恵(META STUDIO)装幀、ハンズ・ミケ(DTP)、中央公論新社、12/2004

デニス・ルヘインの『シャッター・アイランド (ハヤカワ・ノヴェルズ)』は、こうしてみると禍根を残したわね。精神病者が出てきたら、誰が狂っているのか疑え。この場合、幽閉されている人物が出てきたら、誰が幽閉されているのか疑えってわけだ。

幽閉されているのは誰?あなたは自由なのよ。「この部屋のドアにはあなたが自分で思いこんでいる、醜さという名のかんぬき以外かかってないのよ」どうして逃げないの?自由って幸せなのかしら?愛されていないのに?「醜いって気が楽よね。それに比べて、美しさは一種のしがらみだわ」「牢獄が気に入ってしまうということもありうるわ」

「あなただって自分が牢につながれていると思っているわけじゃないのに、こういう物語にひかれているんだから」

ってな感じで、孤島からの救出劇は、新たな「幽閉する者」と「される者」をうみ出すのみで終わる。いや、どちらもが、両方の役を担う。

「相手を束縛せずに愛することもできるはずだ」みたいな話には絶対ならないところが、やっぱりフランス文学(作者はベルギー人だけど)。

私が最初に聞いた語学講座は、林田遼右先生のフランス語講座パルムの僧院」(応用編だったので内容は全然だったけれど)だった。確かに「牢獄の物語を興味深いものにしているのは、脱走しようとして留置人が繰り広げる努力」かもしれないけれど。

「愛とは何か」っていうお題で、そこらを歩いているおじちゃんやおばちゃんをとっつかまえて語らせたとして、一番議論が長く続くのはフランス人なんじゃないかとうすうす感じてはいたけれど、これで決定。私は囚人じゃないので、自由を望みます。ただし、観客ならなっても良い。