アヒルの絵

枕を二段重ねにして室内用眼鏡をかけ、スタンドの明かりに煌々と照らされた状態で目が覚めて、体調の悪さに気づき、枕を一重に直し、眼鏡を外し、明かりを消してもう一度寝なおす。多分少し風邪気味。

かなり遅い時間に起きてみるが、暑いような寒いような、食欲があるようなないような、はっきりしない具合の悪さ。眠る前に読んでいた本の中身が漏れ出したような夢を見ていた。

モーダルな事象 (本格ミステリ・マスターズ)』を第二章まで読了。先だっての旅行にこちらを持っていかなかったことを深く後悔する。『葉桜の季節に君を想うということ (本格ミステリ・マスターズ)』なんて芸のない本を読んでいる姿を公衆の面前で見せてしまった。いや歌野晶午はこれまで『正月十一日、鏡殺し (講談社文庫)』しか読んだことがなかった上に、一作で「好みでない」に分類したくらい明確に好みでなかったのだけれど、『葉桜』は大層な評判になったのでさぞや傑作なんだろうと期待して持っていったのが運の尽き。これを評価する人って、ほとんど男性では?

同じテーマであれば、むしろ「弱さ」を語る本に感銘を受けたばかりなので(『老いる準備―介護することされること』『明日の記憶』)、今更ながら、今後ランキング評価は一切無視することにしよう、と心に決める。歌野晶午はもう読むまい。しかし『女王様と私』はタイトルと表紙がいい。迷う。

明日はもし時間が許せば、映画を見る予定。この間、まだ知り合って間もない人と話していたら、ダグラス・アダムスの名前が出てきてどっきり。新刊memoで紹介していたのでタイトルも名前も記憶はしていたが、私がこれに関して語れることといえば「ああ、あのアヒルの絵の」。これだけである。SF好きと聞けば評価が5割増しになるほどのSF好きSF者愛好者の当方が、せっかくリアルでSF関係用語を口にする人間と遭遇したというのに、そのとき手にしていたのは『葉桜』。持って行く選択肢としては、SFでなくても、森博嗣倉知淳奥泉光もあったのにーーー。恨みまする。

昨日読んだ穂村弘に、本棚の本の並び順は、当人の愛読度とは別であるというくだりがあって、彼は「それを見栄とは呼びたくない。それは「自分がもしも本当の自分だったらきっとこうなるであろう本棚作り」だ」と書いていた。また「素敵な本を読んでいるひとは素敵にみえる」とも。

当方もこの点でのこだわりにかけては、人後に落ちないどころか、先頭を切って爆走するくらいの見栄っ張りである。本当は「頭文字D」から攻めたい水曜日に、好きでもないSFを見に行く。哀れだ。体調戻さなきゃ。