クラシックのサックスは好きだ。

秋なので、グラズノフを何点か図書館から借り出してきた。その中にラプソディーばかり集めたアルバムがあって、iTunesに落としてみてびっくり。あの、運動会でよく流れているどんちゃかした音楽は、リストの「ハンガリー狂詩曲」の終盤部分だったのね。「運動会」と「リスト」、結びつかないなあ。

とか書くと、当方の無知ぶりをさらけだす結果になるのだが、ピアノを小さい頃から習っていたくせに、当方はクラシックの知識があまりない。「表作り大好き」の習性が、これまでそちらの方面に向いたことなし。というのも、ある時期までピアノというのは当方にとっては拷問に等しく、ものごころついてから受験に失敗する15歳まで、「才能ないからピアノやめさせて、といつ言ったら良いのか」ということばかり考えて暮らしたので、当方にとってはクラシック自体が長い間鬼門だったのである。

未だにピアノ曲を聴くと「弾けなさ加減」が若干甦るので、管楽器系が一番癒されるかもしれない。このところ虎馬がだいぶ薄まってきたので、ぼちぼち復活中*1。この間、トヨタのクラウンのCM(「Premier TV-CM」というアルバムに既に収録されてますね)で名前を覚えたジョン・ハールという人の「サクソフォーン協奏曲集」も良かったなあ。選曲も含めて。

ところで、こうしてラプソディーばかり集めた曲を聴いてみてわかったのだが、私はラプソディーがあまり好きではない。「狂詩曲」という日本語も雰囲気があるのにねえ。まあ、言葉の持つ雰囲気の方が実物よりも好きということはよくあることだ。

もう、1850年より前の人たちの曲を、無理して弾いたり聴いたりしなくてもいいんだなあ(ああ、こんなことを書くなんて)。そして、自分が完膚なきまでに敗れ去った世界の人間に対する憧憬とひがみが、実際問題としては「共通の言語を持たない人間とつきあいたがる」というシンプルでやっかいな問題へと発展するのであった。あーあ、あたしの人生、本質的におっかけなのね。

*1:多分iTunesというかMP3の存在も大きい。