シーズン終了

3日間で4時間しか寝ていない状況で起きられるだろうか、と心配だったが、携帯の目覚ましを1時間半鳴らし続けてやっと6時半に起床。京葉線で新浦安へ。安岡秀徒君の応援ツアーに無事合流。

昨日の、雨でぐずぐずの天気とは打って変わって、寝不足の目にはつらいぐらいの快晴。首都高から富士山がくっきりと見えた。今朝3時まで仕事をしていたというデザイン関係の方と、道中車の話とか趣味の話とか。このツアーではいろいろな方と話す機会があり、特に専門職系の方々とのおしゃべりは楽しかった。二年経つと、半分こどものようだった学生さんたちも、おとなの相手をしてくれるようになったし。

09:35から、フォーミュラ・トヨタの決勝を見る。安岡君が去年参戦し、完勝をおさめたカテゴリー。今回の優勝は阿部翼選手。

10:45から、全日本F3今季最終第20戦決勝鈴鹿のF1じゃないけれど、前日の予選が雨で波乱の結果に終わったため、上位下位選手入り乱れての発走順。スタート前に、中嶋一貴と池田大祐、磯崎元彦の各選手がレインタイヤ装着のアナウンスがあり、「何事?」という感じ。朝方小雨が降ったせいで路面は濡れている箇所もあるが、どう見てもこれから晴れる方向。

10位でスタートした安岡君は、順位の変動が激しい中でそのまま10位をキープ。5週走ったあたりで折目遼選手がコース上でストップ。セーフティ・カーが入り、これを機にレインタイヤ組はピットに入ってタイヤを履きかえるが、中嶋選手はそのまま再スタートできず結果リタイア。安岡君の順位は順当に繰り上がる。

途中もう一度、横溝選手(?)がコース上にストップ、セーフティカー導入か、という場面、「今度は6、7番手くらいで戻ってくるはず」と見守るメインスタンド前に、安岡君が戻ってこない。オーバーランだか接触だか詳細はわからなかったが、大きく順位を落として戻ってきたとき、思わずこちらもため息。

トラブルはそれだけでは終わらず、明らかに車のペースががくんと下がり、応援団の見守る目の前、ピットレーンの出口あたりに車が止まる。コクピットを出た安岡君、ブロックを乗り越え、振り返ることなくガレージの裏手に歩いていく。今季のレース終了。

車が止まった原因は、バッテリーのトラブルだったとか。車のセッティングに悩み、それを挽回することができなかったこの一年を象徴するレースだった。

レース全体としては、最終戦にふさわしい盛り上がりで(上位選手が下位からスタートする場合、レースが面白くなる可能性が高い)、強い選手のつばぜり合いとオーバーテイクで場内は盛り上がる。話題をさらったのは、昨日の雨で予選4位を手に入れた今年度F3途中参加の塚越広大選手。一時8位まで順位を下げたが、挽回して5位フィニッシュ。予選の雨といい、決勝はレインタイヤで行くつもりだったのが、スタート直前にスリックタイヤに履き替えたことといい、ツキがあった。優勝はパオロ・モンティン選手。トラブルを避けて無難についていった選手にも、ポイントのご褒美が。

レース後、みんなで安岡君の顔を見に行く直前になって、突如として悔しさがこみ上げる。悔しいのもつらいのも安岡君自身のことで、私が悔しがっても仕方がないことなのだが、自分の中のごく小さな一部分を相手に譲り渡すようにして応援してきたので、まあ、悲しかったりするのだ。

「レースを続けていれば、いい年もあるし、悪い年もあるよ」と、レース観戦歴10数年のファンの一人に慰められる。去年の安岡君の上り調子のレースしか観ていなかったので、「悪い年」の衝撃は驚くばかり(と、最終戦が終わってから気づく)。長い間ファンをやっていれば、1戦ごとにこんながたがたせずにレースを観られるようになるのかなあ。サーキットに、何か忘れ物でもしているかのように、通わずにすむのかなあ。

「夢中で好きなもの」も「夢中で好きな人」もなく、仕事だけは自分にとって大事なことで、でもその仕事の打開策が見つからない*1、そんな時期に、レースとともに過ごした8ヶ月。仕事を放り出してレースに出かけては、レースを観ながら仕事のことを考える8ヶ月でもあった。仕事関係の人と仕事の話をしても面白くなくて、しかし「面白くない」というのは「情報量が少ない」だったり、単なる決めつけだったりすることもある。でもここに「驚き」や「憧れ」が存在する余地があるかなあ。私は「堅実さ」や「金儲け」や「やるべきこと」を、自分の基準に変えることができるかなあ。

安岡君には申し訳なく思いつつ、なんてことを延々と考えながらのレース観戦だった。で、何の保証もなくレースに賭けている安岡君を見ながら、年が倍も離れているお姉さん(この時点で現実を直視していない)は、例によって安易に流されて決心するのであった。「私は自分のわがままを捨てない」。

生身の体を引き連れて人と会うことを繰り返すと、気分や生き方までも情報として拾ってしまう。レース通いをしなくても同じ結論だったとは思うけれど(というか、自分の欠陥を改めるのは難しい)、ある時、誰が周りにいたか、何を読み何を聴いたか、は、後になってからは変えられない。

この一年、安岡君とレースが身近にあったのは、私にとっては明確に良いことだったよ。他人の期待とか夢とか、そんなものまで託されて大変だと思うけれど、安岡君、簡単に引き下がるなよ。

あーあ、残るは「私の」現実である。生き方のヒントは各所からもらったけど、「今、この瞬間何をしているべきなのか」の細分化の方法、「手当たり次第」以外のもう少し効率的な方法のヒント、どこかに落ちてないかなあ。

サーキットから分身も引き取ってきたことだし、なんか主人を置いてかくれんぼに興じている「集中力」もとっつかまえてこなきゃ。(10/24)

*1:もう何年そんなことを言ってる?