先週は久しぶりに公式行事が一件も入っていなかったので、のびのび自閉して読書。携帯電話なんか見もしなかった。旅先で電話がかかってくるのは構わないのだが(「旅行中なので身動きできません」と言い訳できる)、平日自主休暇中の携帯電話には軽い憎しみを覚える。

携帯、持ちたくない。知らない人とアポ取って会うの嫌い。自分が役に立たないとわかっているのに「仕事させてくれ」と頼む違和感。「お役に立ちます」が基本だろう。「頑張ります」の連呼は二十歳の若者でもどうかと思うが、「やりたいんです」すら出てこない(だってやりたくないもん)。「やれるのかな、やれないような気がする」の自己完結。品質不安定なので全然お薦めできません。

というようなことは放り出して、ぬくぬく自閉。気候はいまいち。扇風機を出してきた。

兄が家賃を滞納しているらしい。部屋にも帰っていないらしい。と実家の母から泡食って連絡が入る(これも携帯に)。自宅の電話は不通、携帯は「電源が入っていないか...」云々。普通のおうちなら、ちょっと何事かと思うことでしょう。

しかし、妹はまったく動じない。ほんとに非常事態だったら勤務先から連絡入るだろう。何度似たような事態を経験しても相変わらず母が大騒ぎするのが不思議なくらいだ。財産差押えの通知が来てから慌ててお金を下ろして払い込みに行く私に対して、兄は、差押えの通知が来たことすら気付かないタイプ。教員になったのに奨学金返還免除の手続きをし損ねて、延々と支払ったはずだ。

「困窮の度合いにかかわらず、執事を置くべし」というのを家訓にした方がいいんじゃないかと思うが、まあ、うちの家は我々の代で終わるからいいか。それより、無事に人生をまっとうできるのかどうかが問題だ。

あーあ。貧窮の度合いにかかわらず、やっぱりやりたくないことはある。「みんな頑張っているのに、わがままはいけない」と置物のふりをしてみても、性格が良くなるわけでなし。「わがまま」と「懐具合」の落としどころを、少し間違えているようだ。覚悟ができないというのは、そういうことだ。でも、この年で「ちょっと探し物が」ってのは、なかなかかなり恥ずかしいものなのよ。仮面の名刺はなんまいも持ってるけどさ。それでも、責めるべきは、わがままではない。

アマゾンのギフト券(2千円分)が、先月末で使用期限が切れていることに気付く。結構ショック。

お兄さん、自宅が2軒になったのはいいとして、新しい家には(他人の妻ではない)妙齢の女の人がいる、なんて都合のいい展開はやっぱり無いんでしょうな。