邦楽のコンサートとTOEIC試験(その1)

知り合いの尺八の発表会があるというので、昨日は荻窪杉並公会堂まで聴きに行った。邦楽のコンサートは全く初めて。そもそも和物の舞台自体ほとんど見たことがない。歌舞伎と狂言を数回ずつ。能や文楽に至っては未体験である(薪能見たいなあ)。「邦楽」と「舞楽」や「雅楽」との違いも覚束ない。だけどまあその辺は後で調べればいいや、ってなもんで、久しぶりに中央線沿線の旅。手土産は宮月堂の「揚げまんじゅう」。

学生時代、漫画家さんの原稿をいただきに通った道をたどって、新装なった杉並公会堂へ。地下に下り(中庭があって採光は良い)、受付を済ませて会場に入ったところ、ちょうど箏の演奏が始まったところだった。プログラムを見ると、尺八単独の演目はなく、ほとんどが尺八と箏、または十七弦や三弦との合奏である。

これがプロによる演奏会であったらまた別の感想があったと思うが、素人による「発表会」なのが、それはそれで楽しい。要するに、素人が「上手になる」(あるいは下手のままでいる)様子が手に取るように見えるのである。生徒さんだけの演目もあれば、先生が相手役を務める演目も。実力差のあるコンビが、それでも息だけは合っていたり、てんでばらばらだったり。

箏も尺八も難しそうな楽器だということがわかる。箏はまず体力がないと無理と見た。男性の生徒さんが十七弦を弾いていたが、そもそも「強い音」がなかなか鳴らない。無理のある姿勢を自然に保つだけで大変そう。大きな楽器なので上下左右への動きも大きく、その度にリズムも狂いそうになる。「優雅で軟弱なイメージ」が、いっぺんに覆される。女性の師匠の、着物越しでも感知される、あの鍛えられた上半身の動き、そして強靭な指(クライマーみたい)!

体力という意味では尺八はまだしもな感じであったが、こちらは「音を出すこと」自体が一苦労っぽい。師匠以外の演奏では、息の音ばかりが聞こえてくるのであった。しかも、尺八を吹く男性陣はなぜか皆たいそう真面目な顔をしており(構造上仕方がないともいえる)、「大真面目なのに息の音しかしないのかー。なんとご苦労な」と涙を誘う(笑)。

ところで、箏も尺八も、洋楽に近いアレンジが施されている曲目が結構たくさんあった。中には洋楽の楽器にそのまま置き換え可能な感じの曲も。しかし、尺八に関しては、初心者の間は古典の方が耳に優しい気がした。洋楽のわかりやすい音階と旋律は、技術的な未熟さを決定的に露呈させる。それに比べると、古典は(素人の耳には)何が正しい旋律なのかよくわからないし、箏に合わせてなにがしか鳴っていれば、それなりに様になるのである(箏が上手であればなおさら)。「初心者は古典に親しもう!」と勝手に決めつける一見の客であった。

さて、チケットを下さった知人の演奏である。この方は元々フルートを演奏なさるということを聴いていたので、そちらもぜひお聴きしたい、と思っているうちに、尺八が先になってしまったのであるが、息の入れ方、リズムの取り方ともさすがに地力の違いを感じさせた。音も、たまにいい音で歌う。しかしそれでも、やっぱり「鳴らす」のは大変そうだった。「この方にしてこの音の出具合なのか。なるほど難しい楽器なんだなあ」と、納得した次第。しかし、後でご本人と話したところ、まだ尺八歴は半年なんだそう。逆の意味でも驚いた。これはフルートの演奏も、機会があれば聴きたいなあ。

発表会は7時まで続く予定であったが、尺八の師匠の見事な演奏を最後にして途中で退席。1階のカフェで遅い昼食を摂って家路につく。西荻窪詣ではまたの機会に。