夜はグランプリ・ファイナルを観戦

携帯目覚ましを鳴らし続けて19:00に起床し、お待ちかねのグランプリ・ファイナル。実は結果はニュースサイトでチェック済みだったので、ライブの臨場感とは無縁の気楽さ。

ランビエールがいない上にライザチェックまで欠場で、寂しい男子シングル。5人しか滑らないのに、相変わらず話題性に欠けるプレオベールを写さないテレビ朝日なのだった。ジョニー・ウィアー呆然の転倒劇からシリーズは開幕した模様。この間のロシア大会で初めて気がついたけれども、ロシアの観客は美形が好きで意外に姦しい。確かにウィアーは容姿が魅力的だ。でも、精神力が決定的に弱いのでは? ジュベールが四回転を成功させるのを見ながら、「練習好きというよりは肉体改造に目覚めてしまったのではないかしら」と疑ってしまう私は、なんだかオリンピックの頃ほど純粋じゃないなあ。

高橋大輔は、実力者ジュベールに対して「勝ちを拾いに行く」のではなくて、自力で勝つつもりの演技でしたね。天晴れ。決して長くはない手足でもって日本人がクラシックを滑ることに長年違和感を感じ続けてきたのが、「日本人もこれでいいんじゃないのか」と思うようになったのは、やっぱり彼のおかげもあるのかなあ。髪が茶色でも、眉毛点々でも、日本人の演技には、どこか生真面目さを感じさせるところがある(アクオスのCMの香取君も金髪が似合ってましたね)。衣装を今回のようにすっきりとした物を選ぶ等の配慮は、今後も必要でしょうが。

織田信成君がいい状態で演技に臨めなかったのは、深く残念だった。NHK杯のSPとエキシビションの雰囲気が、これは日本人らしくもなく洒落ていて、思わず図書館でフランク・シナトラを借りてきちゃったほどなので。氷の上というよりは、水面をゆくようなあの「流れるスケーティング」を見たかったなあ。明日は(といっても今日だけど)は、らしい演技を見たいなあ。もしかしたら、「日本人だから」という枠を外して、演技自体を好きになれるかもしれない初めての日本人男子選手だけに、期待しているのだ。

女子はもう完全に、10代3人の戦いだった。モロゾフコーチって、メンタルの指導も上手なのかなあ、と思わせる、安藤美姫の強気の演技。三者三様で「自分の滑り」を心得ている者の持つ強さを感じた。それでも、浅田真央ちゃんには、さらなる開花を望みたくなる。「情熱的な演技」なら、ある意味誰でもできる。けれど彼女には、「薄い目鼻立ちと薄化粧」にふさわしい、静かでつつましくありながら華やかな、そんな美を表現できるスケーターに、なんて思ってしまうのだ。あのノクターンを見ていると。

今までついぞ考えなかった「日本人らしさ」なんてことを考えてしまうのは、巷の日本論に毒されているだけなのかもしれない。でも、多分それは「せめてジャンプだけでも外国の選手と同じように跳べるように」というレベルを、やっと乗り越えたからなのだ。今スケートを見るのは、かなり愉しい。