遺す言葉、その他の短篇 (海外SFノヴェルズ)

「死者が生前何を思っていたか」というようなことを先日の日記で書いたばかりなのだが、昨日読み始めた『遺す言葉、その他の短篇 (海外SFノヴェルズ)』を読んでいたら、同じようなテーマが出てきた。

(以下、あらすじを全て載せているので、これからこの本を読む予定の方は読まないでください。)

物書きの老人が死に、長いこと離れて暮らしていた娘が、遺品の整理に訪れる。老人は、散らかった部屋のあらゆるところに、紙切れや札を貼り付け、メモを残していた。例えば冷蔵庫に「この大きな冷蔵庫! 何のためだ? わたしは老人で、料理もしないのに」といった風に。

持ち物の最たるものは本で、娘はそれらを「引き取る本」「売る本」「福祉団体に寄付する、まったく価値のない本」に分けて箱に詰め始める。本には、紙片ではなく、欄外の書き込みが残されている。娘は最初、腹を立てる。書き込みが本の売却価値を下げるから。しかし、彼女は本をよりわけながら、日付の書き入れられたメモを全部読むようになる。

「おそらくこの本はすべて順に並べることができ、父親の気分や興味の変遷が目の前で展開されるのを読み取ることができるのだろう」

「最初のうちは、父親が本に書き込みをしていることに戸惑いを感じていたが、読んでいくにつれ、父親は実生活では決してしなかったやり方で、本のなかに自身を分け与えていったのではないかと思えてきた」

三日目の夕方、彼女は父親の蔵書としては不釣合いな『時間の物理学−その非対称性』という本を見つけて首をかしげる。時間はうしろ向きには流れないことを証明するための方程式の羅列。父親に理解できたはずはない。本を山に戻すと、彼女は安楽椅子でうとうとする。

やがて、部屋の物音で彼女は目を覚ます。小さな子どもが部屋に入り込んでいる。その黒い髪、やせぎすの姿には、奇妙なことにどこかで見た覚えがある。どこで? もしかしたら、本棚の隙間を埋めていたはずの本を持ち出した犯人は、この子ではないのか? 誰何する彼女に、少年は前触れもなく飛びかかる。思いのほか激しい攻撃に、彼女は命の危険を感じる。咽喉を押しつぶされそうになった彼女は、少年を突き飛ばし、少年は首の骨が折れて死んでしまう。

狼狽しながら少年の元に戻ってみると、少年の姿は、写真で見た子どものころの父親にそっくりだ。少年の頭のそばに、見慣れた黄色い紙切れがある。

チェーホフはこう書いた。 "愚者とペテン師だけが何もかもを知り、理解することができる"」
「賛成よ」彼女は言った。 「でも、何かを本当に知って理解することなんてできるのかしら? 過去は常に消えていくものなの? 死者と和解することはできるの?」
彼女は死体のそばにひざまずいた。父親に似ているだろうか? 彼女自身に似ているだろうか? 答えはなかった。死体はなかった。ただ、本の山が並んでいるだけだった。
彼女は手をのばし、さっきまで子どもだった山から一冊を取り上げた。 『時間の物理学−その非対称性』。彼女はペンを取り、本を開いてその見返しに書き込んだ。 「物理学では知り得ない理由により、時間は常に一方向にのみ流れる。だが精神と心は、おもしろいことに、時間を超越する」

以下は、昨日読み終わった『サイドウェイ―建築への旅』に引用されていた、ルイス・カーンの言葉。

「私にとって、建築はビジネスではない。宗教なのだ。献身なのだよ。人々と生きる歓びを分かち合いたいんだ」