ティンブクトゥ

競馬にうとい私でも、有馬記念だけはちゃんと開催日をわかっていて(クリスマスといえば有馬記念)、今年は見るぞ、と楽しみにしていたのに、3時半にテレビをつけたらもう武豊のインタビューだった。フジテレビの競馬中継って、3時からだったのか。なんとなく3時半っていう記憶があったんだけどなあ。きっと、リアルタイムで見てたら鳥肌物のレースだっただろうに、残念。

改めてWikipediaで「有馬記念」の項目を確認してみたら(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%A6%AC%E8%A8%98%E5%BF%B5)、しかし、記憶に残っている馬の名前は、思ったより全然少ないことがわかる。特に2002年から去年までの馬には、さっぱり見覚えなし。やっぱり、社会現象を引き起こすほどのブームでなければ、私の場合覚えていないようだ。

一番強烈な印象があるのは、1990年のオグリキャップトウカイテイオーナリタブライアンテイエムオペラオーといったあたりはなんとなく聞き覚えがある。上京する以前、実家にいた頃はさらに競馬は遠く、シンボリルドルフリードホーユーテンポイントなんて名前に見覚えがあるのは、逆に謎である。遡れるのは1976年のトウショウボーイまで。当時小学5年生。

馬の話をしながらなんで犬の表紙なのかといえば、夜が明けてクリスマスの気分が霧消する前に、この本を紹介しておきたかったから。人が死んだら「ティンブクトゥ」という名前の来世に行くのだと信じている哀れな男と、そこに主人が行くのであれば、自分も一緒に行くのが道理だと信じている、哀れな犬の話。

俺が夢見てきたのはそういうことばかりなんだよ、ミスター・ボーンズ。この世界を、どうしたらもっといい場所にできるか。魂のぱっとしない月並な片隅に、なにがしかの美をもたらすこと。トースターを使ったってそれはできるし、詩を使っても可能だし、見知らぬ他人に手をさしのべるのだっていい。どういう形を採るかは何でもいいんだ。世界を、最初に見たときよりもっといい場所にして去ること。人間、それができれば上出来さ。

地上で、何の現世的な力も持っていない男が、微力をつくして「何か良いもの」に身を捧げようとする。差し出せる物が少ない人ほど、心から差し出す。馬鹿で哀れだ。そして、そういう人(と犬)こそが、天国(あるいはティンブクトゥ?)に行くのだ。

と思う私の脳裏には、翼をつけた「フライング・トースター」が、ぱたぱたとあの特徴的な音をさせながら宇宙を泳いでいるのであった。