富士山登山(旅行編2日目その2:下山)

ただ回るだけなら1時間で終わるお鉢めぐりに2時間半もかけてしまったのは、思ったよりも体力と時間に余裕があったからだ。これまでの経験上、下りで標準コースタイムから大幅に遅れるということはあまりない。3時間で人が下る距離であれば、4時間も見れば大丈夫だろう。ということは、11:30から下り始めれば15:30には下山できるとみた。早めに宿に着いて、別荘地を散策するのも良い、などとつらつら考えていると、再び久須志神社の前に戻ってきた。相変わらずおなかもすかないし、水とウイダーが残っているので、土産物屋には目もくれない。「名前入りなんとかを作っていかない?」と呼び止められるが、ここにあらずでへらへら通り過ぎると、「お姉さん、どうして手をひらひらさせてるの? 鳥みたいで変だよ」とか何とか。地上でも私の手は宙に浮きがちなので、高度が高いここでひらひらするのは無理もない。お兄さんにはわからないでしょうが、そんなこと構ってはおれないのだ。

「須走口」の表示のある下山道を、下り始める。幅が広く、足場は固すぎず柔らかすぎず。基本的には歩きやすいが、たまに滑りやすい箇所があるので気は抜けない。それでも、下方に山小屋を見ながら、下山者を何組か追い抜いて、快調に下りる。しかし、好事魔多し。一つ目の江戸屋を通り過ぎた後、ふと足元を見ると、「スバルライン、河口湖口、富士吉田口 下山道」の標識が。えーっ。いつ間違えたの、という感じである。富士吉田口と須走口の分岐は、八合目の下江戸屋、とちゃんとわかっているはずなのに、つい慌てて周りの下山者に相談したのがまたまずかった。人のよさそうな中年のおじさんが、「この上の江戸屋が分岐点ですよ。ここの階段を上っていけば近道ですから」といかにも勝手知ったる感じで嘘を言うのを真に受けて、つい胸突江戸屋まで戻ってしまう。人気のない江戸屋の前で「分岐の看板、やっぱりここには無いよ」と途方にくれ、江戸屋のお姉さんに道を尋ねると、果たして下山道は、さっきまで下りていた道なのだった。あの標識、あのおじさん、頭にくることである。おじさんといえば、剣ケ峰から下りた後ちょっと話したおじさんが、なぜか下りる先でちょくちょく出現し、そのたびに話しかけてくるのが鬱陶しい。行く手におじさんを発見すると、しばらく写真を撮ったりして時間をつぶすのも面倒くさい。

30分ほど時間をロス。かなり下った気がするのに、まだ八合目ってのも納得がいかない。時刻は13:00。気を取り直して元の道へ。八合目の下江戸屋で、須走口と富士吉田口の分岐の案内を、ブルーな気持ちで眺める。おまけに、集中力が切れたのか、滑って転んで、先週痛めたばかりの尾てい骨を改めて強打。声も出ない。下方の山小屋、いつまで経っても近づかず。

やっと七合目の大陽館に到着したのは何時だったか(八合目の下江戸屋以降、五合目に下山するまでの写真なし)。たまらずベンチで休憩。「本日、予約なしでも泊まれます」の札が揺れている。自分に利益のない申し出は、むしろ心を沈ませる。

しかし、ここから先は「砂走り」。何を見ても「走るように下山できる」と書いてある。期待は大きかった。しかし、ものの5分もしないうちに、期待は失望に。「走るように」というのは比喩ではなく、本当に走らなきゃならないのだ。走るというのは、足を持ち上げるということだ。ここ数年私は、横断歩道以外で走ったことなんかない。走るなんて? 論外だよ。

しかも、走る人々は、砂を蹴立てるついでに、猛烈な砂嵐を置き土産にする。かくして、私はカンガルーの眷属に次々と置き去りにされ、その都度、目を閉じて砂嵐の去るのをじっと待つのであった。その置いていかれ加減は、登山時の比ではなく、こんなところに転がっていた予期せぬ罠を、私は深くにくんだ。

これが30分や1時間の道のりなら、さほどのダメージにはならなかっただろう。私は、歩を進める度に「1、2、3、4、」と芸も無く数字を数えた。千数えても2千数えても、1万数えても、砂走りは終わらなかった。これが曲がりくねった先の見えない道なら、少しは気も紛れただろう。しかし、西日に照らされた下山道は遥か下方まで見渡され、芥子粒のように小さな人間どもが、やっぱりぴょんぴょん跳ねているのがかろうじて見分けられるのであった...。

やっとのことで木立が現れ、「やっと普通の登山道だ!」と喜んだのはぬか喜びで、またしても現れる砂走り。何の陰謀だか。

砂走りに疲れたというよりは、下山自体に疲れた家族連れ2組と、「つらいですね」と声を掛け合いながら一緒に下る。「この先売店まで20分」の表示にすがって、なんとか砂走りを抜ける。行きは通った覚えのない売店が現れ、かといって、一刻も早く下山したい私は、休もうとすら思えない。ベンチでくつろぐ人たちを横目に、最後の樹林帯に突入する。

ほんの20センチの段差で、尾てい骨が軋む。砂走りで酷使したつま先は、少しの力がかかるのも嫌がって、かかとやら足の脇に力を逃す方法はないものかと、無意識に試行錯誤を続けている。それでも、終りのこない夜はない。昨夜無事を祈った古御岳神社まで下りてきた。先の家族連れのお母さんが、深々と頭を下げている。その気持ち、わかります。どうやら、彼女とお子さんはそこで一休みし、旦那が車を回してくるのを待つらしい。私も神社に軽く手を合わせ、山を一歩一歩後にする。

どこかで顔と手を洗いたい。トイレに入れば水道はあるけれど、スパッツを外すために前傾姿勢を取るのが苦痛。幸い、ウェットティッシュも化粧落としシートも余っているので、そちらで代用することにする。昨夜見た総合案内所の前に出たら、「ありがたい」と声が出た。自分の声に驚いて周りを見回すと、建物の影に立っていたどこぞの人が、にやにや笑って見ていた。16:30、下山。(08/19更新)