昨日は、朝になってから眠って、午後2時に起床。夕方から練馬区立美術館に『山口晃展』(http://www.city.nerima.tokyo.jp/museum/tenji/yamaguti-ten.html)を見に行った。すっかり忘れていたのをヤスlogさんの日記(http://d.hatena.ne.jp/yasulog/20070916)で思い出して、なんとか最終日に間に合った。

秩父に行くとき以外は乗ることのない西武池袋線で中村橋まで。休日のせいなのか、乗っている人たちの顔つきがのんびりしている。上京後15年間この沿線に住んでいたので、何やら懐かしい。練馬区立美術館も、下の階の中村橋図書館にも、結構お世話になったことがある(最初に国吉を知ったのはここじゃなかったか)。

最終日の閉館1時間前なのに、結構お客さんがたくさんいた。若い人が多い。おじさんの一人客もけっこういる。あ、うるさいおばさんたちの気配がない。画期的。

山口晃については、作品集や三越のポスターで気になってはいたものの、まだちゃんと見たことはなかった。だから、ほとんど作品の予備知識はなし。“メカ武者”や“バイク馬”といったモチーフも初めて見た。

遠目に見ると大和絵の絵巻みたいな典雅で細密な絵図は、近寄ってみると、十二単のお姫様なんかはいなくって、武者姿のお侍とか、馬とバイクの合体したものとか、戦車とか、その群れの中にスーツ姿の卑しげな顔をした(小さいけどはっきり表情がわかる)おじさんとか、まあ日本の風景ではあるようだけれど、時空を融合した空間が広がっている。おまけに「こんな意図で作ったんですよ」という説明書きまで描かれていたりして。

眺めている人たちが楽しそうだ。それだけで、ありかな、という感じ。イギリスで「ロミオとジュリエット」のマンガ版が出版され、お目目きらきらの主人公たちがシェイクスピア時代の英語をそのまましゃべるという趣向が話題になっているらしいが、こちらは、情景も言葉もフュージョンだ。平安絵巻の人物たちに現代語でしゃべらせてみたら、絵巻を見るのも楽しいんじゃないか、とぱっと思いつく。「言葉でわかりたい人たちを排除しない」絵。

その絵自体の統一感と完成度の高さがあるから、「なんでもあり」が引き立つんだけど。生体と機械の合体に、今公開中の『プラネット・テラー』を連想する。日本画では珍しいのかもしれないけど、マンガの伝統を引き継いでいると思えば、すんなり納得がいく。

女性の存在感、まったく無し。きれいな女性が居そうな場所は、かわりにお稚児さんがその場所を占めている。この展覧会だからなのかな? 

高校時代に使っていたという教科書の落書きが、まったく今と同じ感じでおお、と思った。

帰りは、中村橋から練馬まで、千川通りぞいに歩いた。練馬って、こんなにのどかだったっけ、と思う。7年ぶりとかなのに、変わっていない感じ。そういえば、今の住居に越してきたとき、沿線の乗客も、近所のコンビニの客層も、練馬区あたりの人たちに比べて、目つきに険があるように思えた。アイラインがくっきりしているような。歌舞伎の隈取りじゃないけど。でも、そういうところの方が、自分には合っていると思った。それは今も変わっていない。

練馬から大江戸線で、今の住まいまでは乗り換えなしで直通。ちょっとしたタイムスリップの気分。

帰ってから、BGMで世界柔道。「ママでも金」達成は、やっぱりすごい。これも一つの、わかりやすい説得力の形だ。