雲取山登山(二日目その2)

5:10歩き始め。標高1100m。山小屋からは、意外なことに下りが待っていた。すぐに小屋は見えなくなり、少し心細くなる。誰か追いついてきてくれないかなあ、と珍しく弱気なのは、暗い空と、あたりに反響する川の音のせいだ。宿に到着して以来絶えることの無かった瀬音の音源に向かって、細道を降りていく。浅瀬の淵にたどり着き、はしご状に組まれた橋を渡る。足を置く木片はさほど面積もなく、体重をかけると多少揺れる。流れは轟々と渦を巻き、落ちたら流されそう(あくまで心象風景として)。たかだか6、7歩を、震えながら渡る。平衡感覚って、音や、明るさや、周りに人がいるかどうか、そんなことで左右されるんだな、と思う。

渡り終えても心臓ばくばく。しばらくの間はどこをどう歩いているかよくわからなかった。やがて瀬音が小さくなり、空が明るくなり始めると、先ほどの恐怖はもうどこにもない。高度計を取り出して、とりあえずは高度を0にセットし、アノラックを脱ぎ、正気に戻って登り始める。昨晩、山小屋のご主人に「1時間に高度300mをめどに登るとよい」と聞いたので、一応その数字を目標にする。

05:56、特に標示はないが、切り株がいくつか並んだ眺めのよい場所に出る。ただし、空は曇り、近くの山がぼんやり見えるだけ。07:18「三条ダルミ」到着。標高1775m。2時間8分。いいペースだ。と満足して足を止めていたら、後ろから登山者がやってきて、彼は矢のような速さで先を登っていった。本当の山屋さんだろうか。この日唯一、私を抜いていった人になった。

ここから頂上まで、距離は近いが登りがきつい。そのかわり、高度計の数値がみるみる変わるので、それが励みになる。風の通りが若干よくなり、高地らしい涼しさも感じられるようになってきた。眺めが開け、鴨沢方面への感じのよい尾根道が見える。頂上そばの雲取避難小屋に到着。08:05。やればできるものだ。雲取避難小屋は、板張りの床が結構広くて過ごしやすそう。雲取山荘に昨夜泊まったという人がやってきて、ちょっと話を聞いてみたところ、彼は昨夜は素泊まりで、食事は自炊したとのこと。無料の避難小屋がこんなに立派だと知っていたら、シュラフを持ってきてこっちで泊まったのになあ、と残念そうだった。その方は、昨日三峰から登ってきて、今日は鴨沢に降りるとのことだった。

本当の山頂は目と鼻の先で、到着は08:21。標高2017m。7、8人ぐらいのグループが楽しそうに寛いでいてこちらには挨拶もしないので、そこそこに引き上げた。眺めはなし。

下る。08:53、雲取小屋到着。食欲はないけれど、おにぎりを1個消費。ウイダーの栄養分がそこそこ高いようなら、山用の主食はおにぎりじゃなくてウイダーに切り替えようかなあ。ペットボトルの水を1本購入。水場があるので、まあ無駄遣いではあるが。飲み水はもう500ml「三条の湯」で補給済み。山小屋ごとに、手持ちの水を1リットルに戻すのがなんとなく習慣になりつつある。雨が一滴落ちてくる。

えらく下りやすい道をどんどん下る。高度計の数字が1700mまで下がると、ちょっと泣きたくなる。だって、次の目的地の白岩山の標高は、1921mだから。200mの登りが待ち受けていることになる。「大ダワ」到着09:28。

気合を入れて上り。白い小さな花が群生していた。巨大な白い岩をいくつか見た。そういえば、足元にも白い、夜目にも光りそうな石がたくさん散らばっていた場所があった。どのあたりだったかは思い出せないけど。どうやら、登りのペースを体が覚えてきたらしく、「ゆっくり止まらない歩き方」ができるようになってきた。高度計でペースを調整するやり方が自分には合っているようだ。

「芋の木ドッケ」到着10:25。「白岩山」到着10:35。標高1921m。雨が薄く降り始める。霧雨では終わらないようだ。でも、ここからはもう、基本的に長い登りはないはず。気持ち的には山場は越えた感じ。雲取山から秩父側は、名前のついた地点が結構あり、それとは別に、「三峰神社/雲取山」までの道標が0.5kmごとに現れる。「主要道」っぽい。三峰側から登ってくる登山者がぼちぼち増えてくる。合羽を着ている人も、Tシャツ1枚の人もいる。「まさか朝から降るとは思わなかったなあ」とぼやいていた。当方は、ザックカバーだけとりあえず装着。アノラックは暑いので着ない。つばの広い帽子が雨滴から頭と前身ごろを保護してくれるので、あまり濡れない。ズボンはなぜか知らないけど濡れないので(あるいはすぐ乾くので?)面倒なスパッツは装着せず。

「白岩小屋」到着11:03。昔風の立派でない山小屋で、風情のある小屋の主人が現れ、何か買ってあげたいところだが、先を急ぐのでご挨拶だけして通り過ぎる。今度は下りも上りもたいしたことはなく、「前白岩山」到着11:30。標高1776m。雨、本格的に降る模様。「前白岩の肩」11:46到着。

ここからが、今日2度目の難所(といっても大したことはないんだけど)。足場を選びながら越えなきゃいけない岩がいくつか。ただ、この山は全体的に足場が良いので、その点は概ね楽だと言える。ずるずる滑るガレ場は嫌いだ。自然林に守られた山は、歩きやすい。雨がひどくなるにつれ、大きなカエルがそこここに現れる。15センチほどもあり、落ち葉の色をしている。しきりに何かに這い登ろうとしているのだが、体が重くて思うようにいかない。小さくて不器用な生き物はかわいい。どうやら熊よけの鈴に反応するようなので、踏まなくて済むように、これまでにもまして音を響かせるようにして歩く。そういえば、この鈴の音は、巡礼の鈴の音にも聞こえるなあ。

「霧藻ヶ峰」までは、だらだらの下りが長かった。後は下るだけという思いからか、緊張が解け、惰性で歩いているだけというところもある。雨はひどくなる一方。この天候に「くもり」の予報はないよなあ。12:55「霧藻ヶ峰」到着。標高1523m。立派な休憩所兼売店があり、外のベンチはお客で満杯だったので、建物の中で久しぶりに肩の荷を下ろす。私は基本的に、行程が本当に終盤にかかるまでは、荷物は下ろさないし、甘いものは飲まない。山中では、スポーツドリンクよりもミネラルウォーターのほうが、なぜか体にしっくりくる。

ジュースを買って、しみじみ飲む。「三条の湯」から縦走してきた、と言ったら、ご主人がプチトマトをいくつか分けてくれた。生ものが欲しかったところだったから、うれしかったなあ。多少荷物が重くなっても、次回果物だけはいくつか持ってこよう。休んでいたら、体が冷えてきたので、出発することにする。秋雨をなめてたかなあ。去年の両神山は、空の明るさを遮るほどに緑の屋根があって、雨音の割りに濡れない山だった。三峰は、尾根伝いで空がよく見え、雨は遮るものなしに降り注ぐ。

道は下るにつれ、広く緩やかになり、下界の気配が近くなる。道を気遣う必要もなく、もし晴れていたら、ここを放心しながら歩くのはさぞや気持ちよいだろう。実際は「早く着替えてコーヒー飲みたい」しか考えていない。三峰神社の奥宮に至る、妙法ヶ岳への分岐と鳥居が現れる。14:09。妙法ヶ岳から太陽寺に抜けるコースは、次回のお楽しみ(「谷中哲夫:山行記録のページ:三峰山表参道・妙法ヶ岳(1329m)・霧藻ヶ峰(1523m)」http://homepage2.nifty.com/cellist/yama/mt2007_04_06/mt2007_04_06.html#20070527)。標示に「魚又講」という文字があった。何だろうこれ。

三峰の登山口の鳥居に14:21到着。鳥居のすぐ脇に、下山者に向けて「温泉入れます」の看板は、ちょっと興ざめじゃないかしら。せめてあと5m先に置いてほしいなあ。鳥居を正面から写すと、看板の後姿が映りこんでしまうのは、ちょっとどうかと思うぞ。鳥居の柱には「平和講」の文字。こちらも何だろう。

登山者というよりはただのびしょぬれの怪しい人と化して、三峰神社の境内前にたどり着く。土産物屋のトイレで着替えようと思ったら、和式しかなくて着替えられず、これは温泉に入らずとも興雲閣まで行くしかないかな、と傘を購おうと思ったら、傘は売っておらず、しかし、お店の傘を貸してくれるという。次に山を降りるバスは15:45発とのことだった。有難くお借りして、境内に入り、神社の前で無事を感謝して興雲閣へ。ここのトイレで上から下まで着替えて、やっと体に血がめぐり始める。

予想しなかったことにコーヒーハウスがあり(「小教院」http://www.mitsuminejinja.or.jp/kounkaku/shoukyouin/index.htm)、心の底までぼーっとしながら、コーヒーを味わう。三峰神社ご朱印を書いていただき(買って帰る分の方が、お犬様(実はオオカミ)のスタンプが押してあってかわいい)、先ほどの土産物屋でちょっと買い物をして傘を返し、霧にけぶる駐車場でバスに乗り込む。「お犬様展」と「ニホンオオカミ展」をやっていた三峯山博物館(http://www.mitsuminejinja.or.jp/hakubutsukan/index.htm)も、次回までお預け。

土日祝日は、バスは西武秩父駅まで直通なので、秩父湖二瀬ダム)の堤体から下流側を見下ろしてくらくらした後は爆睡。17時過ぎに西武秩父駅到着。大急ぎで暖かいそばをお腹に入れて、各停で池袋方面へ。練馬で大江戸線に乗り換えて、家に戻る。眠りこけて寝過ごすこと2回。

雪の降る前に登りたいコースが3つ。冬山に行けるかどうかは懐次第かな。高い国内移動費と冬山の装備代と講習費と。本格的な登山はやりたいともやれるとも思わないけど、シュラフだけでも持っていけば、無料の山小屋に泊まれて安上がりかなあ。食料はこだわらないし。

「何かに思いつめるくらいなら山」という逃げ道を、私は発見してしまったのだった(そして、がつがつしていない男の子とシンプルなことを話す)。やっぱ深いぜ、富士山。(09/28更新)