結果的には忙しい一日。銀行と証券情報室で用事を済ませ、ちょっとどこかに出かけたくなって、以前ちょっと調べたことのある柴又に出かけることにする。といっても寅さんに思い入れがあるわけではなく、帝釈天題経寺ご朱印をいただこうというのである。

柴又の駅を降りると、寅さんの銅像が出迎える。駅前からすぐに参道が始まっていて(参道の途中に駅があるというか)、立ち並ぶ店が、思いのほか感じがいい。昭和っぽい雰囲気にとってつけたような違和感はなく、活気と清潔感が感じられて、どこも入ってみたくなる。帰りは「たなかや」で定食を食べて帰ろう、と心に決めて、まずは帝釈天へ(http://www.townnet.com/Katsushika/shibamata1.html)。

帝釈堂に入ると、おばさまがたの一団が透し彫の入った欄間を熱心に眺めていたので、一通り後ろから見て回ったが、もう夕刻で照明も薄暗く、あまりよく見えなかった。内陣の前で手を合わせる。心が落ち着く時間。つい、実家にいた頃の習慣で手を叩きたくなるが(母方が真言宗で、しかしなぜか、うちではお辞儀をした後拍手を二度行う神仏習合?であった)、もちろん手を合わせるのみ。「南無妙法蓮華経」を唱える声が響く。日蓮宗であったか。うっかりして、本堂は拝み損ねてしまった。

もうひとつの今日の目的地は「山本亭」(http://www.katsushika-kanko.com/2_shibamata/2-4menu.html)。地元のお金持ちの旧宅で、お庭が有名であるらしい。100円の入園料を払って受付を抜けると、開け放した座敷と庭が現れる。屋敷のどこでも好きな場所でお茶をいただけるというので、もう人も少なくなった座敷の端っこに座り込んで、コーヒーを注文。由緒あるお寺でお茶をいただくと、正座したりお辞儀したりであまりリラックスできなかったりするものだが、ここは楽ちんである。本を読んだり、写真を撮ったりして、のんびり過ごす。お庭の造作は、よくわからない。しかし、夕暮れ時に、お庭のそば、広々とした座敷でお茶を飲むのはいい気分である。

私がこれまで見たお寺の庭で一番印象に残っているのは、去年訪れた志布志大慈寺の庭(http://www.yado.co.jp/kankou/kagosima/oosumi/sibusi/sibusi.htm)。南国の植栽に彩られた庭は、一寸の隙間もないほど緑に埋もれていて、見ているこちらまで溶けてしまいそうだった。獰猛な自然の庭のほうが、私は好きなのかもしれない(究極にある枯山水系は、まだ見たことがない)。イスラムの庭も、一度見てみたいなあ。(『楽園のデザイン―イスラムの庭園文化』)

山本亭を出た後は、お散歩がてら江戸川の河川敷へ。昔「夜霧の私」と変換していた「矢切の渡し」を見に行く。川沿いの車道を越えて土手に上がると、広々とした河川敷が広がる。意外なことに、整備されたグラウンドではなくて、一面の緑の野原である。こっちの緑と向こうの緑を、ほっそりした江戸川の流れがさえぎる。暮れていく空。北を常磐線、南を北総線の電車が通り過ぎる。一脚を持ってくればよかったなあ。

雨が落ちてきたので帰りを急いでいると、昔一緒に仕事をしていた男の子から夕食のお誘い。先週酔っ払って電話したときは都合がつかなくて、今日は急に予定がキャンセルになったから食事でも、とのこと。とりあえず帰る。「たなかや」は次回に。

家に帰って着替え、ネットで双方検索をかけて、結局こちらの近所の「たまキャアノ」(http://www.brutusonline.com/brutus/regulars/gourman/shop.jsp?issue=214&backTo=list.jsp)へ。10席程度しかないので直前予約は難しい店だが、9時までなら空いているのでどうぞ、とのこと。

会うのは多分4年ぶりくらいだが、全く変わってない。頭髪は気にしなくて済む家系らしい。彼と食べる食事は、昔から美味しかった。2日間オフィスに詰めていなきゃならないような忙しいときは、タクシーを飛ばして豪勢なディナーに出かけた(その間寝ればいいのに)。教えたことを何でもすぐに吸収してしまう忌々しいほどの出来のよさはときに凶悪な感情を引き起こしたが、一緒に美味しいものを楽しく味わうというのは、誰にでも可能なことではない。当時アルバイトしてくれていた学生さんは、もれなく食事に連れて行ったが、どこに連れて行くかは千差万別だった。

投資銀行で順調に出世中らしい。驚きもしない。担当する会社の話とか、やっぱりアルバイトに来てくれていた妹さんや弟さんの話とか。今年、一週間違いで富士山に登っていたことが判明。愛車はアウディだという。あまり興味を持ったことがないと話すと「絶対〜さんも気に入りますって! ていうか、〜さんのイメージからしアウディでしょう。内装の良さはダントツですよ」と力説。TTとかいうのが素晴らしいらしい。国立新美術館のオープン前に、ロエベと組んでイベントをやったとか。まあ、見てみるけどさ。でも、たとえ一緒に食べ歩いていた頃の私であっても、イメージ的にはアウディじゃないと思うけどなあ。自分が何に乗りたいかは別として、メンテの苦手な私にふさわしいのは、汚れたりぶつけたりしても、それが様になる車じゃないかと思う。フィアットの大衆車あたり、どうでしょうかね。

マカオGPと句会の予定が重なったことを話すと、「それはマカオに行くべきじゃないですか。距離が遠い方を優先ですよ。相手に申し訳なくても、それは後のフォローしだいでしょう」とばっさり。この子の言うことは概ね信頼できるけれど、でもこの場合はどうだか。この方面には疎いからなあ。あー、答えが出ない。実はまだ、航空券もホテルもキャンセルはかけていない私である。

9時までの予定が、予約客が遅れているということで10時までいられて、白ワイン1本にグラスの赤、前菜の盛り合わせにマイタケ、イワシ、何かのお肉、内臓のパスタでおなかいっぱい。ありがたくご馳走になる。自分の認めている人に「あなたにも良いところはありますよ」と言ってもらえるのは嬉しい。「君の言葉を信じたい ステキな嘘だから」(ネズミの進化)ってのが、ちらっと頭をよぎる。でも、シニカルなのは私で、彼ではない。

「今、自分に金銭的な制約がなかったら何をするか」を久しぶりに書き出したら、ちょっとまた、道が見えてきた。「分相応」なんか知るか。