18日、てんぱっていて用事を一件すっぽかしてしまったので、かわりに今日埋め合わせに行く。お詫びのため、かごしま遊楽館に寄ってかるかんを購入。明石屋のが高かったので、なんだか聞いたこともない銘柄のものにしちゃったけど、味はどうだったんだろう? おつかいもののお菓子が不味いというのは、お土産を貰ったというプラス面を帳消しにしてしまうのでは? と後で思ったけど、購入した時点では、費用5千円と1万円の差が重要だったのだ。貧乏は判断を狂わせる。

夜の句会に備えて、俳句を考える。前回の屋形船のときは、5時半の開始時刻の3時間前から考え始めて、死ぬ思いで2句を提出した。一人だけ票を入れてくれた優しい人がいたので、つい勢いで入会してしまったのだ。たとえどんなに妙竹林な戦いであっても、実戦に参加することで得るものは大きい。何せマカオGPを犠牲にして参加したんだからね。今日は余裕で、8時間前には考え始める(当日だよ...)。

お題は「襟巻(マフラー)」「おでん」「初雪」。

俳句についてはよく知らないけど(不用意に型を頭に入れたくないので用心中)、自分にとって良い句は、「発想が新しい」か「表現が巧い」かの2パターン。もちろんどちらも備えた句はある。誰でも共感できるようなイメージを、言葉の力で新しくするというのは私には無理なので(ましてや、言葉の力で新しい、しかも共感できるイメージを作り出すなど)、なるべく「他の人がこの言葉から連想しない方向で」句を作るのが目標。

一番安いあんちょことして『俳句歳時記 (冬) (角川文庫 (か3-4))』を紹介してもらったので、ぱらぱらめくって確認。あとは、その言葉から連想するイメージをどんどん追いかけていく。平凡なイメージは捨て、17文字に収まるかどうか考えては、捨てて切り替える。この作業は結構楽しい。あと、俳句というのは、何をしながらでも考えられるのがすごく便利。暗記も可能だし。わからない漢字は携帯でチェック。

「襟巻(マフラー)」については、このところ若いお嬢さん方が、冬でもコートの下は半そでだったりして、冬のさなかの白い素肌、胸元、襟足なんかを書きたいな、というのが最初で、これはそのイメージで通すことに。といっても、最終的には自分の話になっちゃったけど。「襟巻の隠せぬ丈に髪を切る」。

「おでん」は、自分にほとんど縁がない世界。一時期コンビニのおでんをよく買っていたけれど、あのむき出しのおでんを煮ている容器に、いかに埃が舞い落ちているか、という記事だかを見て以来、買えなくなってしまった。「コンビニのおでんのタネにしかけなし」というのをすぐに思いついたが、川柳としても気が抜けすぎ。「おでんと週刊誌をいつも買って帰る残業帰りの女」というのも、おやじのような女の人ということでいけそうだったが、17文字に入らないので廃棄。いつぞや寿司屋で、「その手は労働をしていない手だ」と寿司職人に揶揄されたことがあって(何様だ)、それをおでん屋に置き換えようかなと思ったが、やっぱり寿司屋のほうが様になる。最終的に「おでんの屋台のビニールのおおいの下に、客の背中と足が見えていて、赤い丸い椅子が一つ空いている」というのを使うことに。「おでん屋の屋台に丁度一人分」。

「初雪」は、最後までイメージがまとまらず。祖母の命日が12月28日で、その頃お墓参りに行くと、南国の桜島でも冠雪が見られたりした、という記憶から「南国の雪」のイメージでいきたかったが、これもまとまらず。東京ではこのところ、雪なんか振らないよなあ。しかし温暖化については誰か書きそうだ。やっぱり自分の体験から、「昼過ぎにとか夕方とかに起きだしてニュースを聞いていると、初雪が降ったと言っている」というのを使う。東京あたりだと、初雪は積もらないことが多い。「寝坊助はいつも後で聞く初雪報」。これ、もう少し時間があれば、以下のように改めたはず。「寝坊助は融けてから聞く初雪報」。個人的には、結構気に入っている。私にしては珍しく、「寝坊助」という言葉はちょっとユーモラスだ。漢字がいいのかな。ひらがながいいのかな。どっちだろう。

ということで、夕方鰻屋に移動して句会である。「鰻屋で句会」。江戸っ子みたいだ。じーん。この会の参加者は、ほとんどが広告代理店OB。当初は「60くらいのおじさんたちが作る俳句かあ。孫のことばっかりだったりして」と思って参加してみたら、元コピーライターだったりする方々の句は、やっぱりすごいのだった。特に「言葉のイメージがめちゃくちゃ鮮やかな人」と、「なんてこたないイメージを俳句らしくそれでいて古臭くなく端正に仕上げる人」がいて、このお二人の句に惚れて参加させていただくことになった次第。おまけに、皆さん自分たちの流儀に自信があるのだろう。「お教室俳句」の決まりごとからは、まったく離れている。カルチャースクールっぽさに苦しむこともなさそうだ。

まず短冊に自分の句を書いて提出し、係の人が無作為に3句ずつ配るのを清書する。これで、誰が書いた句なのかはわからなくなる。次に、句が書き写された清書用紙が順繰りに回されてくるので、自分が良いと思った句を、選句用紙に書き写す。全部の句を見終わった後は、自分の選んだ句の発表である。自分が清書した句に票が入ると、その票数を清書用紙に書き込んでいき、同時にその句の作者が名乗り出る。「自分の句にどれだけ入るか」「一番票が入るのはどの句か」というのが一番の関心事だが、句会の楽しさは、「へー、この人がこんな句を書くんだ」という発見の楽しみでもある。

「『おでん屋の屋台』ってどういう言葉遣いだよ」とか「この句、ちょっと面白いな」とか言う近所の人たちの批評(この段階では作者がわかっていない)を何食わぬ顔で耳をダンボにして聞く。「この句って、女性が書きそうな句だけど、男の人が書いたとしたらかわいいですね」と、書いた本人に言ってしまったり。

「句の力」というのはあって、やっぱり実力者には票が入るのが不思議だ。ちょっと怖いのは「これはこの人の句だな」という傾向がだんだんわかってきて、その人に対する感情で票を入れて(あるいは入れないで)しまうということ。私の句は特定されやすいような気がする。ただでさえ女性は少ないし。「自分が良いと思う言葉」の感覚を揺るがせないようにしなければ。今日は、なんと3句で総計5票も入った。大漁。

句を作ること自体は楽しいが、集団というものはどんな集団でも苦手なので「ここにいていいのかな」という不安はある。まあ、あまり考えないようにしよう。(2008/01/04更新)