夕方、進物用のカレンダー(https://www.kabuki-za.com/FS-Shop/kaomise/item/C-008001.html)を買いに歌舞伎座へ。今年は数が少なくて3部だけ購入し、何となく辺りを見まわしていると、今日の興業のチケットを売っていることに気づいた。といっても、残っているのは1万円以上の良い席のみ。それじゃちょっと手が出ないので、チケット売り場を出てゆくと、一幕見席(http://www.kabuki-za.co.jp/ti/tik_3.html)の窓口前に行列が。しかも、そんなに長くない。係の人に尋ねてみると「もしかすると座れるかもしれません」とのこと。今日はこの後特にこれといった予定もないので、並んでみることにした。気温がさほど低くないのもラッキーだ。米澤穂信も抱えてきてるし。国際色豊かな行列に混じって待つこと30分強。1,500円支払って緋色のカーペット敷きの階段をとことこ4階まで上り、舞台は遠く天井は近い一幕見席に、首尾よく空席を見つける。ちょうど幕間で、隣に陣取ったおばさま方が、お弁当を食べている。食べ物があれば嬉しいところだが、一幕見席は売店からは隔離されているのだった。仕方がないので、自動販売機で飲み物だけ入手。おばさま方は「この余った八つ橋、誰か食べない」とかやっている。どうして私に声をかけてくれないの?

歌舞伎座に来るのは、実はまだ2回目である。一度友人夫妻と15年くらい前に来た。友人の旦那の方が歌舞伎が好きで、「ぃよッ、なんとか屋!」と叫ぶ練習をしていたのを覚えている。演目は皆目覚えていない。

今日これからの出し物は「粟餅」と「ふるあめりかに袖はぬらさじ」。どちらももちろん知らない。後のほうは新劇の焼き直しだと、周りの誰かが言っていた。ま、いい。映画一本の値段で、きれいな格好をした役者さんたちを、生で見られるのだ。都市生活者の端くれとしては、悪くない選択じゃないか。

「粟餅」は、なんだか二人で踊っていた(...)。若い方(かどうかわからないが)の踊りが、ぱきぱきしてメリハリが効いていて、なんだか気に入った。

「ふるあめりかに袖はぬらさじ」は、本当に、普通のお芝居とあまり変わらなかった。もっと伝統的なものを見たかったんだけど。4階席だとさすがに、声が少し聞きづらい。なまじ現代語なので、台詞が気になってしまう。幕末の横浜。遊郭岩亀楼の一角で、ひっそりと病の恢復を待つ美しい遊女亀遊。年増で面倒見の良いお園が様子を見にやってくる。と現れた、通辞の藤吉。どうやら亀遊と藤吉は良い仲らしい。時流に合わせて、外国人相手の「唐人口」も置く岩亀楼だが、藤吉を伴って現れた外人さんは、おかめばかりの「唐人口」を嫌って亀遊に一目ぼれ。身請けを申し出たものの、亀遊は自害。「唐人に身を任せることを良しとせず、命を絶つとは天晴れ」と、攘夷派によって美談に仕立て上げられる。その後の藤吉は? お園は? そして岩亀楼の未来はいかに? という話。

美人の亀遊はあっけなく死んでしまって、主役はお園であった。この人の良い芸者は、ついつい口が過ぎてしまうところがあって、その場で悪気なく口にしたことがあらぬ事態を引き起こし、言葉の独り歩きが嘘に変じてしまう。しまいには、本人にすら己の言葉の真偽がわからなくなってしまうほど。「志」を持つ男たちと、その場限りの嘘を繋いで生きている女。しかし、本当に変わらないのは、女の「情」のほうだ。「本当に、よく降る雨だねえ」が、ラストの台詞だったか。この一言が、切々と胸に響いてくるところがあって、そしてこのお園を演じたのが、玉三郎なのだった。

正直長くて、途中でうつらうつらしたりして、誰がどの役を演じていたかを知ったのは、家に帰ってから。玉三郎は、剽軽な役どころのせいもあって、そんなに特別な感じはわからなかった。「幽玄の美」のイメージが強くて。でも、ラストはやっぱりしみじみした。いかにも固くて融通の利かなさそうな好青年が、実は獅童だったことにちょっと驚く。わからないものだなあ。この席から見るなら、次は双眼鏡を持ってこないと。

帰り、歩いて帰るつもりで昭和通りに折れたら、なんだか人が溜まっていて、どうやら楽屋口があるらしい。暇な一日をとことん堪能しようと、誰が出てくるか待つことにする。と、テレビで見たような覚えのある若者が出てきた。カメラやら、携帯電話やらで一斉に写真を撮る皆様方。「あら、これは撮っておくべきかも」とリュックのファスナーに手をかけたところで、先方と目が合う。途端に、カメラを出すのが恥ずかしくなってしまった。ああいうのをオーラっていうのかしらね。静かな目をしていて。「この子の前で、カメラを大急ぎで取り出してぱしゃぱしゃやる中年のおばさんになりたくない」と思っちゃったんだよねー。その後も、一緒に写真を撮りたいという人たちを、焦るでもなくさりげなく待って、丁寧にリクエストに応えた後、彼は銀座の街に消えていったのだった。服は迷彩柄だったけど。

後で顔を照らし合わせたところ、どうも勘太郎さんだったような気が。「新選組!」の平助だったという情報に自信がぐらつくけれども、平助と勘太郎の素の写真にはどうもギャップがあり、その素の写真と、さっき見た若者は似ている。やっぱりそうなのかなあ。実物、というか実際の雰囲気は、非常に魅力があったなあ。歌舞伎また見に来ようかなあ。今度は彼を目当てに。と思った私だった。

少し薹の立ったお金持ち風の女性が、若者を引き具して消えていったりして、専らレースのパドックを見慣れた身には新鮮に映った歌舞伎の楽屋口。案外簡単に、役者さんを近くで見られることに驚いた。まだ粘る人たちが誰を待っているのか興味はあったけれど、帰ることにする。雨の平日だったら、案外に席も取れるかもしれない。一つまた「逃避」のオプションが増えて満足だ。(2008/01/21更新)