昨日は初めて、翻訳のクラスに出てみた。うーん。悪くはないのかも。でも期待したほどじゃない。今ハードな課題を出されたら玉砕しそうなんで、小手調べにはちょうどいいのか? 春から15万本格的に投入するだけの価値があるかどうか。かといって、別の学校で「翻訳基礎講座」から延々と通い続ける余裕もなし。ま、夏までにトライアルに挑戦できるようになればいーや。メール網を作るのに手ごろな人数(もちろん女性だけ)だが、なんだかみんな怖いほど真面目な感じ。ここはとりあえず、メモはEeePCで取ることにして(私は手書きよりキーボード入力のほうが全然速いのだ)、まずは場を乱しておく。一緒に3分くらい遅れた子が、物怖じせず先生に質問する子で、帰りの電車も一緒だったので、いろいろ話す。この子は仲良くなれそう。一人でもそういう子がいて良かった。しかし、先生がなあ。真面目でいい人なのだろうと思う。が、自分の知らないことを指摘されるのは好きじゃないタイプ。正統な形で敬わなきゃ機嫌損ねそう。遊びがないし。まあ、学ぶところはもちろんたくさんあるので、あえて逆らう必要もないか。

今日は取材だった。この会合の取材は初めてで、ちょっとやろうと思いついたことを、新しくやってみた。反対されたらやだなあ、と思って、各所に言い出せないまま当日になってしまったが、みなさんあっさり協力してくださった。それはよかったが、せっかく粛々と進んでいたのが、当方の段取りの悪さで雰囲気ぶち壊し。マイクを持たされてぐだぐだで、迷い込んだ黒い羊さん状態だった。でも、意図していた効果が実際に現れたのを1例目撃できたので、この形が定着するといいな、と思う。今年のアイデア実現その2。臨時の取材だったので、次はないと思うけれど。月曜日の取材と合わせて2件まとめなきゃなので、思いやられる。

その後は、国会図書館に移動して、本業の作業。年が明けてからクラブ活動ばかりなので、勘がめちゃくちゃ鈍っている。

先日、居心地よく甘えさせてもらって以来、調子がおかしい。「仕事をする人」と「女の人」の境界が曖昧になっている瞬間に、ちょくちょく気づく。まずいなあ。欠けている物は、欠けっぱなしのほうが対処しやすいんだが。後腐れなく、湿っぽくなく、対価を要求されず、物扱いもされず、敬意は存在しつつ、ちょっと依存させてもらう時間。が決定的に欠けている自分の生活というもの。丁寧に話をつなげる努力をしながら、相手が自分自身のことを滔滔と話すのを楽しそうに聞き、「でも、あなたは私に対して質問の一つもないのねー」でもそんなことを考えても無駄だから、ととりあえず情報を取ることに専念する時間の積み重ね。あと、「書く」ということへの執着。生身の私よりも、書いたものに対するほうが(ごく一部には)受けがいいという事態が、あまりよくない感じで依存を深めつつあるかな。

というような危機感が、このところ私を走らせる。何かにしがみつかずにすむように、大事なものが1つにならないように、三点確保で次の岩に手をかけられるように、明日も、飄々として得体の知れない私でいられるように。

右のまぶたにものもらいらしき痛みが。