帰省を一日半延ばして、それでも頭が痛くなるくらい作業を残して、10時羽田。今回は、レンタカーで毎度お世話になっている「トクー」(https://www.tocoo.jp/UserUI/do/uTop010Init.aspx)経由で、航空券を取ってみた。東京−鹿児島間の正規の往復航空運賃は7万8千円。早割や出張パックなら往復3万円程度だけど、一度取ってしまうと変更が難しいし、マイレージは海外旅行用に取っておきたい。試しに、これまで見たことのなかったトクーの航空券をチェックしてみると、当日まで予約可能なディスカウントチケットを発見。実際は「e航空券」(http://www.e-koukuuken.com/index.html)というところの販売だが、3万9千円のチケットを、トクープレミアム会員価格26,400円で購入可能。当日1時間前まで予約できるので、旅程の調整で頭を悩ませる必要もない。往路と復路で別の空港を使うのも自由である。この自由度の高さなら、早割+2万円の費用は許容範囲。ちなみに、東京−鹿児島間は、前日予約割引料金より当日料金のほうが安いという逆転現象が起きているが、他の路線は、前日までの予約であれば、さらに安くなるようである。いずれにせよ、国内旅行は、近場なら高速バス、遠方なら格安航空券で、思い立ったら出かけられる環境になってきた。これで、地方の休日高速道路料金が本当に下がるなら(http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20090127/1023138/?P=1)、鹿児島までレンタカーでの帰省もありだ。まあ、週末から週末にまたがって、9日間は必要になるが。

JALの経費削減は着々と進んでいるらしく、オレンジジュースを頼んだら、小さな紙コップに氷もなし。おかわり禁止ってわけじゃないから、たくさん飲みたい人は頼み直してくださいってことね。正しい方向だと思う。羽田が混んでいて鹿児島到着は30分遅れ。早速、母が個展をやっているエアポートギャラリーに顔を出し、絵を眺めたりおしゃべりしたり。空港の通路だというので、もっと落ち着かない空間かと思っていたが、位置的には建物の外れ、一般の待合スペースとラウンジを繋ぐ通路にあって、空港で働く人たちと、パイロットやCAの方々、一般の旅行者が、同じくらいの割合、多からず少なからずで通りかかる。空港の方々とは母はすっかり顔なじみで、一言二言、声をかけられる方も多い。航空会社の方々も、皆さん礼儀正しく挨拶していかれる。一般の方は、普段は絵を見ないような方も、他に見るものがない空間なので、なんとなくは眺めて通り過ぎるし、少しでも興味のある方は、案外にじっくり眺めてゆく。若い男の子が立ち止まって真剣に眺めている姿を見ると、何か感じるものがあるんだなあ、と嬉しくなる。

市内のギャラリーとは違った客層も見ること、他県の客の目に触れること、の2点が、この場所の特徴。今回、全く見ず知らずの東京や福岡の方が絵を買ってくださり、母は嬉しそうである。上手で型通りの絵を好む人には売れるべくもないが、絵を楽しむ余裕のある層の中には、この絵を好む人たちもいるはず。オーナーやお金持ち以外でも、頑張りたい女性に受けがいい。何年も前から、ミニ画集の作成と個人開業者への売り込み旅行を提案しているのに(車に絵を積んで。楽しそう!)、これまでいっこうに埒が明かなかったのが、今年は母も、やっと重い腰を上げて画集らしきものを作ってみた。が、あまり印刷の出来がよくなくて、今回の個展には間に合わず。しかし、要領はわかったはずなので、次回はそこそこ良いものがあがってくるはず。母の絵の費用は、自力でなんとかしてもらうしかないので、売り込みの方法は考えてみたいと思う私であった。業者から東京の貸し画廊の案内が来ていたが、6日間20万円にしちゃ、特にメリットもなさそうなので却下。奥野ビルで半額でやったほうがずっといい。

化粧品を一式忘れてきたので、帰りは天文館で一人で降りて、山形屋でRMKのファンデ購入(安くてそこそこ評判がよかった)。薬局でサンシビオの旅行セット?とアイブロウペンシル。20年ぶりくらいに市電に乗って帰る。携帯電話を手にしている人が、少ない。ヘッドフォン、イヤホンをかけている人は、40名弱のうち3、4人しかいない。すっかりさびれた地元の停留所で降りて、薬局、病院ばかりが立派な旧道を歩く。区画整理で、路地のなくなった町。

2年ぶりに父と対面。個展が始まった当初は朝晩空港まで二往復していたらしいが、さすがにそれはつらくなったので、夜は最寄り駅までの送迎に切り替えた旨。気が若くて無理をするので、それは改めてもらわないと。昨年代理で出席した『視点』展の入選の賞状を渡して、用事は一つ済んだ。思えば父とは、10年くらい前までほとんど話すことがなかった。それが、彼がワープロをPCに切り替えて、ワードでカメラ紀行を作るようになり、私のほうは組織がらみの取材という、父が昔やっていたようなことに足を突っ込むようになり、急に話す量が増えた。遺伝子的には、明らかに父の割合が多い。母の猪突猛進をもう少し引き継げればよかったのだが、母からもらったのは、お片づけ下手で探し物ばかり、という点なのだからうまく行かない。

実家でイーモバイルを使えないことがわかって、ちょっとショック。父からは「ブログを作りたい」「アマゾンをインターネットで見られないのをなんとかしてほしい」という要望がきているが、それはまた明日。