多少お疲れ気味。もはや椅子で寝る気力すらない(長椅子滞在が可能なのは多分、最長72時間で片がつく程度まで)。今寝て、メール返信(3通)は、朝の6時とかに起きて処理したほうがいいかも。

小説の文字を追うのもつらいので、『ネフスキィ』の筆写(というか打ち込み)を試みるが、文語の変換でつまずくたびに、三十一文字の世界が分断される。「ふかぶかと覗き込まれし生活は細部よごれて恥ぢつつかあらむ」。しおりのはさまっていた、2月17日の項。

新しいカメラの梱包も解かないまま。

寂しくて人が恋しいのではなく、忙しくて人が恋しい。新しい境地?

「行く」という表記に対して、「いく」をあてるのか、「ゆく」をあてるのか、43歳にして、初めてその違いを知る。

◆「いく」の語形も上代からみられ、平安時代以降は「ゆく」と併用される。「ゆく」「いく」はほとんど意味は同じであるが、古くは「ゆく」のほうがより広く使われ、特に訓点資料・和歌(「生く」との掛け詞の場合を除き)では、ほとんどすべてが「ゆく」である。現在では「ゆく」に比べて「いく」のほうが話し言葉的な感じをもち、したがって、「過ぎ行く」「散り行く」など、文章語的な語の場合には「ゆく」となるのが普通である。なお、「ゆきて」のイ音便形「ゆいて」も用いられたが、現在は一般的でなく、促音便形は「ゆく」のほうは用いられず、「いく」を用いて「いって」「いった」となる。(Web版「大辞泉」より)